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[[File:50th Anniversary of Baptism by Harris.jpg|thumb|right|200px|札幌バンドの内村、新渡戸、広井、伊藤、大島のハリスの墓参]]
[[ウィリアム・スミス・クラーク]]の感化で[[キリスト教]]信者になり、「イエスを信ずる者の契約」に署名をした[[札幌農学校]]の学生集団は札幌バンドと呼ばれる。「誓約」は、キリストの告白、十字架のキリストへの感謝、その表現としての「真実基督教徒たる諸々の義務」を求めると共に、信仰の基準としての聖書を「神の人の言語を以て顕せる唯一なる直接の天啓」として信ずることも要求されている。ことに注目されるのは、適当な機会がくれば、信仰の諮問を受けた上で受洗し、「或る福音主義の教会に加入すべきこと」を誓約した。青年達は、[[1878年]](明治11年)、メソジスト派の宣教師[[M.C.ハリス]]から洗礼を受けた。
[[File:Merriman Colbert Harris.jpg|thumb|120px|メソジスト派のメリマン・コバルト・ハリス宣教師]]
 
[[1882年]](明治15年)、札幌バンドのメンバーは「[[札幌独立キリスト教会|札幌独立基督教会]]」を設立してその教会員になっている。しかし、その後、宣教師との関係の悪化により、メソジスト派との関係を絶つことになった。後に、新渡戸稲造は[[クエーカー]]派の信徒になり、内村鑑三は[[無教会]]を創始する。