「藤井優」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m 誤字訂正 DDS→DSS (デジタルスポーツ射撃)
8行目:
選手引退後、[[東京]]・[[御茶ノ水]]で[[銃砲]]店兼射撃用品センター・兵林館を設立。経営の傍ら多くの射撃選手を就職させ育成した。また[[モントリオールオリンピック]]金メダリスト・ラニー・バッシャムと共同で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[テキサス州]]セギン市にテキサス射撃学校を設立した。
 
[[2000年]]には[[レーザー]][[光線銃]]を使うデジタルスポーツ射撃(DDS)(DSS)を発案。日本代表チームの合宿を[[山形県]][[高畠町]]で行ったのが縁で、DDSDSS連盟事務所を高畠町に置き、競技名も「タカハタ」と命名した。
 
また[[1970年]]、西ドイツの国立射撃学校留学時代に当時、[[アメリカ陸軍]]射撃チームの無名選手だったラニー・バッシャムと出会い親交を深める。藤井は日本チャンピオンとなった後、選手を引退したが、ラニーはその後も射撃を続け[[1972年]]の[[ミュンヘンオリンピック]]で銀メダル。金メダルを期待されたミュンヘンで[[プレッシャー]]に潰され、銀メダルに終わった悔しさから精神との闘いが必要と痛感。しかし当時は精神を訓練する方法を教えるようなものはなく、オリンピックの金メダリストに直接やり方を聞いたり、いろいろな本を読み情報を集め集約し、スポーツの世界に「メンタルマネージメント」という理論・手法を最初に取り入れ、[[1976年]]の[[モントリオールオリンピック]]で金メダルを獲得した。