「斎藤隆夫」の版間の差分

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[[第二次世界大戦]]後の[[1945年]](昭和20年)11月、[[日本進歩党]]の創立に発起人として参画、翌年の[[公職追放令]]によって進歩党274人のうち260人が[[公職追放]]される中、斎藤は追放を逃れ[[総務委員]]として党を代表する立場となり翌[[1946年]](昭和21年)に[[第1次吉田内閣]]の[[国務大臣]](就任当時[[無任所大臣 (日本)|無任所大臣]]、後に初代[[行政管理庁長官|行政調査部総裁]]<ref>現総務省行政評価局・行政管理局</ref>)として初入閣する。
 
[[1947年]](昭和22年)3月には[[民主党 (日本 1947-1950)|民主党]]の創立に参加、同年6月に再び[[片山内閣]]の行政調査部総裁として入閣、民主党の政権への策動に反発し[[1948年]](昭和23年)3月に一部同志とともに離党。[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]と合体して[[民主自由党 (日本)|民主自由党]]の創立に参加、翌年[[心臓病]]と[[肋膜炎]]を併発し死去。享年8079
 
故郷の[[出石]]に記念館「静思堂」がある。