「ジョージ・アームストロング・カスター」の版間の差分

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森園千歳 (会話 | 投稿記録)
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== 来歴 ==
===生い立ち===
カスターは[[オハイオ州]]ニューラムレイで、鍛冶屋兼農民の父親エマニュエル・ヘンリー・カスター([[1806年]] - [[1892年]])と、マリー・ワード・カークパトリック([[1807年]] - [[1882年]])の間に生まれた<ref>Custer in the 1850 US Census in North Township, Ohio.</ref>。曾祖父は[[ドイツ]]の[[ライン川]]付近から移住した[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系移民]]移民で<ref>Wert, Jeffry D. (1996). Custer: The Controversial Life of George Armstrong Custer. New York: Simon & Schuster. p. 15.</ref><ref>Evan S. Connell, Son of the Morning Star, North Point Press, 1984.</ref>、「[[ドイツ系アメリカ人協会]]」によると、カスター家は[[イギリス]]との戦いで戦功を挙げた[[ヘッセン大公国|ヘッセン公国]]の兵士にまでに遡ると伝わる。この説によれば、一族の姓名は元々、発音も表記も異なる「Küster(キュスター)」で、{{仮リンク|ヘッセン語|de|Hessischer Dialekt|label=}}([[ドイツ語|高地ドイツ語]]に属する[[中部ドイツ語]]の一方言)の名前を避けて、[[英語]]風の「カスター」と改めた<ref>Albert Bernhardt Faust, The German Element in the United States, Boston: Houghton Mifflin Co., 1909, vol. 1, p. 517.</ref>。一方、母方は[[イングランド系アメリカ人|イギリス系アメリカ人]]([[イングランド]])であったので、彼はドイツ系とイギリス系のハーフの血統に生まれた事になる。 家族は彼にアームストロングと名を付けたが、終世彼を「オーティー」と呼び続けた。
 
カスターはオハイオ州モンローで兄弟と幼い時を過ごした後、オハイオ州ホープデイルのホープデイル大学に進学した<ref>Boston Custer in the 1870 US Census in Monroe, Michigan.</ref>。大学時代、貧しい生まれのためにカスターは同級生と石炭運びの仕事を行い、部屋代を稼いでいた。[[1856年]]にホープデイル大学を卒業、両親は聖職者になる様に望んだが<ref>Merington, Margurite (1987). The Custer Story: The Life and Intimate Letters of George A. Custer and His Wife Elizabeth. Lincoln: University of Nebraska Press.</ref>、難関である[[ウェストポイント]]の入学試験に合格して陸軍の士官候補生となった。カスターは1860年度のクラスで教育を受けたが学業成績は芳しくなく<ref>Custer in the 1860 US Census at West Point.</ref>、通常であれば[[佐官]]停まりが見えている状態だった。また気性の激しいカスターはしばしば騒動を起こし、退学を警告される事も少なくなかった。しかし幸運な事に南北戦争の勃発が彼に立身出世の機会を与えた。