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チャベスは[[ジョージ・W・ブッシュ]]政権以降は反米路線を掲げた。2002年、アメリカの[[中央情報局]](CIA)の援助・支援の下に軍部親米派のクーデターでいったんは失脚したが、全国的な国民のデモの激化<ref name="senya"/>、ラテンアメリカ諸国の抗議によって再び政権に復帰し、わずか3日間でクーデターは失敗に終わった。こうした経緯もあり、チャベスは反米的な[[キューバ]]、[[ボリビア]]、[[エクアドル]]、[[ニカラグア]]、[[中華人民共和国]]、[[ロシア]]、[[イラン]]と関係を強化し、友好的な関係を維持している。また、[[ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体]]や[[南米諸国連合]]、[[米州ボリバル同盟]]、[[南米銀行]]の設立を主導して中南米の結束を図った。
 
一方で隣国である[[親米]]国コロンビアとはかねてから関係が悪く、2009年7月には外交関係を凍結し、ベネズエラ軍の軍備増強を発表、両国間の緊張が高まっている([[アンデス危機]])。[[2010年]][[7月22日]]にはコロンビアとの国交を断絶し、国境に「全面的非常態勢」を敷くよう軍への命令が出され<ref>{{citenews|url=http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010072301000016.html|title=ベネズエラがコロンビアと断交 左翼ゲリラの活動めぐり対立|publisher=47NEWS|date=2010-7-23|accessdate=2010-7-23}}</ref>、3週間後の[[8月11日]]には国交回復で合意した<ref >{{Cite news
|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100811-OYT1T00323.htm
|title=ベネズエラとコロンビア、国交回復で合意
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2015年12月6日に行われた議会選挙において、1999年のチャベス政権発足以降続いてきた与党の[[ベネズエラ統一社会党]]が敗北。米国などが支援する[[中道政治|中道]]の反チャベス派選挙連合である[[民主統一会議]]が勝利した。チャベス派の[[ニコラス・マドゥロ]]大統領の任期は[[2019年]]までであるが、チャベス派の敗北は1999年以来初のことであり、これにより[[21世紀の社会主義]]を名目に国づくりを行っていたベネズエラの構図が、[[親米]]・[[新自由主義]]のチャベス以前へと大きく回帰するものとみられていた<ref>{{cite news |url= http://www.nikkei.com/article/DGXMZO94902680Y5A201C1000000/|title= ベネズエラ、野党大勝 失政と腐敗のつけ深刻 |author= |work= [[フィナンシャル・タイムズ]] |date= 2015年12月9日 |accessdate=2015年12月11日}}</ref>。
 
マドゥロはチャベス時代の反米路線と社会主義路線を踏襲し、議会と激しく対立した。しかしマドゥロ政権下においては国際的な原油価格の低下と価格統制の失敗により、チャベス時代から進行していたインフレーションが激化した。議会とマドゥロ政権の対立は激しくなり、[[2017年]][[3月29日]]にはマドゥロ政権に近い[[ベネズエラ最高裁判所]]が議会の立法権を剥奪し、裁判所が立法権を掌握する発表する事態となった<ref name="asahi20170331">{{cite news |url= http://www.asahi.com/articles/ASK3054VTK30UHBI01K.html|title= ベネズエラ最高裁、議会の立法権奪う 「独裁」批判も |author=田村剛 |work= [[朝日新聞]] デジタル|date= 2017年3月31日|accessdate=2017年4月1日}}</ref>。しかしこの決定は野党や南米諸国をはじめとする各国から批判されたことで、撤回に追い込まれている<ref name="nikkei20170402">{{cite news |url= http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK02H0I_S7A400C1000000/|title=ベネズエラ最高裁、議会機能停止を撤回 反発受け マドゥロ大統領「論争は終わりだ」 |author= |work= [[日本経済新聞]]|date= 2017年4月2日|accessdate=2017年4月2日}}</ref>
 
== 政治 ==
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経済危機に有効な対策をとれないマドゥロと与党[[ベネズエラ統一社会党]]への不信は高まり<ref>{{cite news |title=混乱続くベネズエラ、野党の総選挙大勝で新たな試練 - WSJ|newspaper=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]日本版 |date=2015-12-8 |url=http://jp.wsj.com/articles/SB12270577396625053624104581402993230476906 |accessdate=2016-5-17}}</ref>、2015年12月6日の議会選挙で反チャベス派選挙連合である[[民主統一会議]]が112議席を獲得して勝利し、ベネズエラ統一社会党は55議席に留まる敗北を喫した<ref>{{cite news |url= http://jp.reuters.com/article/venezuela-election-idJPKBN0TS0GY20151209|title= ベネズエラ大統領、選挙敗北受け内閣改造へ 政治犯釈放は拒否 |author= |work= [[ロイター通信]] |date= 2015年12月9日 |accessdate=2015年12月11日}}</ref>。
 
しかしマドゥロ政権は議会と激しく対立し、政権に近い最高裁が何度も議会の決議を無効とする判決を下していた<ref name="asahi20170331" />。[[2017年]][[3月29日]]には最高裁が議会の立法権を掌握すると決定されたが<ref name="asahi20170331" />マドゥロ政権野党や国際社会独裁色は強反発を受けて撤回に追い込ったれている<ref name="asahi20170331nikkei20170402" />。
 
== 外交 ==
伝統的に親米路線をとってきたが、1999年のチャベス政権成立以降は[[反米]]を基調としている。アメリカはベネズエラの人権状態などに強い批判を行い、2015年3月には政府関係者に対する経済制裁を行っている。ただし、ベネズエラにとってアメリカは現在も最大の貿易相手国であり、民間では強い関係性をもっている<ref name="外務省"/>。
 
チャベスはアメリカの影響力が強い[[米州機構]]に代わる南米諸国の組織とし[[米州ボリバル同盟]]を設立し、南米諸国との関係性を強めていこうとしている<ref name="外務省">[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/venezuela/data.html ベネズエラ基礎データ | 外務省]</ref>。しかし非左派政権である南米諸国との関係も円満ではなく、2015年にはコロンビアとの間で大使召還が相互に行われるなど<ref>{{cite news |url= http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/20150828000367|title= 関係悪化、大使を召還/ベネズエラとコロンビア |author= |work= [[四国新聞]] |date= 2015年8月28日 |accessdate=2017年4月2日}}</ref>、円滑なものとは言えない。また2016年の[[ブラジル]]で、[[ジルマ・ルセフ]]大統領が弾劾された際には、ボリビアやエクアドルとともに大使を召還している<ref>{{cite news |url=http://www.sankei.com/world/news/160901/wor1609010028-n1.html|title= 中南米左派諸国が大使を召還 ルセフ氏弾劾に強く反発 |author= |work= [[産経新聞]] |date= 2016年9月1日|accessdate=2017年4月2日}}</ref>。またペルーの[[ペドロ・パブロ・クチンスキ]]大統領はベネズエラを激しく批判し、ベネズエラ側もこれに対して批判を行っている<ref>{{cite news |url=http://jp.reuters.com/article/venezuela-peru-idJPKBN16E0FG|title= ベネズエラ外相がペルー大統領を米の「犬」と批判、非難合戦続く |author= |work= [[ロイター]] |date= 2017年3月7日|accessdate=2017年4月2日}}</ref>。また2017年の最高裁による立法権掌握などは、[[米州機構]]などの国際社会から批判を受け、ペルーは大使召還を行うなど強い措置をとっている<ref name="nikkei20170402" />。
 
== 軍事 ==
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[[ファイル:Nuevo Circo (Caracas metro).jpg|thumb|[[カラカス地下鉄]]の車両。]]
 
[[アンデス共同体]]、[[メルコスール]]、[[南米諸国連合]]、[[米州ボリバル]]の加盟国である。[[アンデス共同体]]からは2006年に脱退している。
 
通貨はボリバル([[ISO 4217|VEB]])。2007年6月の時点で世界で最も価値の低い通貨トップ5の一つであった<ref>
為替公式レートは1米ドル=2150ボリバル(1ボリバル=約0.06円)だが、闇レートは1米ドル=4110ボリバル(1ボリバル=約0.03円)。Foreign Policy:"[http://www.foreignpolicy.com/story/cms.php?story_id=3880 The List: The World’s Worst Currencies]"
GIGAZINE 2007年6月19日「[http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070619_worlds_worst_currencies/ 世界で最も価値の低い通貨トップ5]」</ref>。しかし、[[2008年]]1月よりそれまでの1000ボリバルを1[[ボリバル・フエルテ]]に[[デノミネーション]]し、現在の公式為替レートは1米ドル=2.15ボリバルとなっだし後述するインフレーションの影響で現在2017年には1米ドル=10ボリバル、変動レートで1米ドル=709ボリバルとなっているが、闇レートではこの1ドル=3000ボリバル以上で取り扱われる況からは脱し態となっている<ref>{{cite news |url=http://jp.reuters.com/article/venezuela-economy-idJPKBN16Z06M|title= ベネズエラ、新たな為替制度を創出へ=大統領 |author= |work= [[ロイター]] |date= 2017年3月28日|accessdate=2017年4月2日}}</ref>
 
ゴメス時代にマラカイボ湖で石油が発見されるまでは、ベネズエラはコーヒーとカカオを主とした[[プランテーション]]農業の国だったが、1930年代には石油輸出額が第一次産品を抜き、[[1950年代]]にアメリカ合衆国、[[ソビエト連邦|ソ連]]に次ぐ世界第三位の産油国となった。その後1960年代、1970年代を通して高成長が続いたが、南米で最高だった一人当たり[[国内総生産|GDP]]は原油価格が下落した1983年を境に急落し続け、2002年にはボリバル換算で1960年の水準にまで落ち込んだ<ref name=sakaguchi>坂口安紀「苦悩するベネズエラ―チャベス政権の「ボリバル革命」の行方」『異文化理解講座8 現代中米・カリブを読む 政治・経済・国際関係』小池康弘編、山川出版社、2008年</ref>。このことから、ベネズエラは「失われた三十年」を経験したとの分析も存在する<ref name=sakaguchi/>。