「林屋辰三郎」の版間の差分

1914年[[石川県]][[金沢市]]に生まれ、1938年[[京都帝国大学]]文学部卒業。専攻は日本古代中世史。卒業後、日本史研究会の創立に参加し代表委員を務める。1948年[[立命館大学]]教授に就任するが、1969年に[[学園紛争]]で辞任し、翌年[[京都大学]]人文科学研究所教授となる<ref name=jinmei>『日本人名大辞典』</ref>。部落史・地方史・女性史の視点から中世芸能史を実証的に研究し、1961年に「中世芸能成立史の研究」で[[芸術選奨]]受賞<ref name=jinmei/>。[[部落問題研究所]]理事、[[京都国立博物館]]長などを歴任する一方で、[[京都市]]史編纂事業を指導し、『京都の歴史』・『史料 京都の歴史』等の編著を刊行し、各社の<日本の歴史>の編集委員を務めた。個人としても、自宅に<燈心文庫>と名付けた書庫を持っているほどの、古文書・史料類の収集家だった。岩波新書版の『京都』や、中公文庫版の『日本の歴史 天下一統』は、初版から半世紀近く経ても重版されている。
 
戦後の京都の歴史学、特に中世史において多くの研究者を輩出し育てた。勤務校の立命館大学では[[赤井達郎]]・[[横井清]]・[[川嶋将生]]ら、京都大学では[[村井康彦]]・[[戸田芳実]]・[[大山喬平]]・[[脇田晴子]]らが著名。
[[赤井達郎]]・[[横井清]]・[[川嶋将生]]ら、京都大学では[[村井康彦]]・[[戸田芳実]]・[[大山喬平]]・[[脇田晴子]]らが著名。
 
弟に[[スペイン]]大使を務め、[[マヤ文明]]「[[マヤ神話]][[ポポル・ヴフ]]」(中央公論社)や<[[大航海時代]]叢書:岩波書店>の訳者の一員でもあった[[林屋永吉]]、[[叔父]]に[[参議院議員]]、[[国務大臣]]の[[林屋亀次郎]]、従弟に陶磁器研究家の[[林屋晴三]]がいる。長女寛子(1944- )の夫は歴史地理学者で同志社大学名誉教授・武藤直。
 
== 経歴 ==
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