「京橋 (大阪市)」の版間の差分

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1895年(明治28年)に城東線(後の[[大阪環状線]])の京橋駅が開業して後に[[片町線]]や[[京阪本線]]との乗り換え駅となり、駅周辺が繁華街として発展するに伴い、「京橋」はその名をつけた駅およびその周辺を指すようになった。現在も都島区東野田町・片町、[[城東区]]新喜多一丁目・蒲生一丁目・野江一丁目一帯の通称である。広義では寝屋川の南側にある中央区城見、城東区鴫野西一丁目も含まれる。京阪本線の京橋駅は[[1949年]]まで蒲生駅と名乗っており、かつては橋梁の京橋の近くに京橋駅(廃駅)があった。
 
JRと京阪および[[大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線|地下鉄]]を含め、京橋駅は1日50万人以上の乗降客があり、京阪グループなどが拠点を置いていることから商業施設が集積しており、飲食店街や[[歓楽街]]も発展していることから大阪の東の玄関口とも呼ばれ、[[梅田]]界隈の[[キタ]]、[[難波]][[心斎橋]]界隈の[[ミナミ]]に対して、時折[[大阪ビジネスパーク]]を含む同地区界隈を'''ヒガシ'''と呼ぶことがある<ref>[http://www.kyoubasi.net/area/c1.html 京橋タウンガイド]等より</ref>。ただ、キタやミナミとは違い、ヒガシという呼称は一般にあまり浸透していないのが実状である。
 
現在の京橋駅界隈の大半は東野田町にあり、この町名は[[東成郡]]野田村に由来する。大阪市域にはもうひとつ[[西成郡]][[野田村 (大阪府西成郡)|野田村]](現 [[福島区]]野田)があり、1897年に両村は大阪市[[北区 (大阪市)|北区]](当時)に編入され東成野田・西成野田となり、1900年に東野田・西野田となった。また、1969年まで京橋駅北西の東野田町交差点に[[大阪市電]]「東野田駅」があった。元来京橋という地名でないことも加え、ヒガシ呼称にはこういった歴史的な理由もある。
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==