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'''死六臣'''(しろくしん、{{Lang-ko|사육신}}、{{Lang-zh|死六臣}})とは、[[世祖 (朝鮮王)|世祖]]によって王位を追われた[[端宗 (朝鮮王)|端宗]]の復位を図ろうとして処刑された[[李氏朝鮮]]時代の6人の政治家を指す言葉。
一般的に死六臣は次の人物を指す。
* [[成三問]](ソン・サンムン)
* [[朴彭年]](パク・ペンニョン)
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* [[兪応孚]](ユ・ウンブ)
* [[柳誠源]](ユ・ソンウォン)
異説として、死六臣と共に連座して処刑された[[金文起]](キム・ムンキ)を兪応孚または柳誠源の代わりに数えることがある。
== 端宗復位事件 ==
[[世宗 (朝鮮王)|世宗]]の長男にして世祖の兄である[[文宗 (朝鮮王)|文宗]]
この頃、[[明]]で起きた[[奪門の変]]の影響で、端宗の上王が廃位され、魯山君に封じられたのちに[[庶民|庶人]]へ落とされた。これにより、錦城大君や世宗によって[[集賢殿]]に抜擢された学者・政治家であり、文宗から幼い端宗を補佐するよう遺命を受けていた成三問らは、端宗の復位を図って同志を募った。しかし世祖を殺害して復位を実現しようとする計画は成三問らと共に行動するはずであった[[金礩]]の裏切りと密告によって発覚し、関与した者たちは世祖に捕らえられた。
錦城大君、端宗もこの事件により[[賜死]]となり、[[薬殺刑|賜薬]]に処せられた。
== 死後の顕彰 ==
その後、[[朝鮮王朝]]で[[成宗 (朝鮮王)|成宗]]の時代より[[士林派]]が台頭し、名分論に基づいて
また、世祖の即位を認めず官職を辞してその後も一切官職につかなかった「[[生六臣]]」(せいろくしん)も、死六臣と一対の忠臣たちとして顕彰されている。
2007年に死六臣を題材としたテレビドラマ(日本語題・[[死六臣 (テレビドラマ)|死六臣]])が[[大韓民国]]で製作・放映された。
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== 関連項目 ==
*[[王と妃]]
*[[王女の男]]
<!--== 出典 ==
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[[Category:李氏朝鮮の文臣|*]]
[[Category:朝鮮の歴史]]
[[Category:名数6]]
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