「人間将棋」の版間の差分

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人間を駒に見立てて将棋を指すというアイデアは、[[豊臣秀吉]]が[[伏見城]]で小姓や腰元を将棋の駒に見立て、「将棋野試合」を行ったという故事がきっかけとなっている<ref>[http://www.news24.jp/articles/2015/04/25/07273788.html 60回目の「人間将棋」山形・天童市]</ref><ref>[http://www.jcci.or.jp/news/2009/0327111654.html 春の風物詩「人間将棋」の駒武者を募集中(天童商工会議所)]</ref>。
 
天童は江戸時代(天童藩[[織田家]]2万石)から将棋駒の生産で知られ、[[織田信美]]が[[文政]]年間に財政再建に成功した米沢藩[[上杉家]]から駒師を招き、家老である吉田大八の指揮のもと藩士に学ばせた(「天童藩史」「御家建て直し」など)。現在でも将棋駒の約95%がこの地域で生産されている<ref>[http://www.bussan-tendo.gr.jp/?p=log&l=261183 天童市将棋資料館]</ref><ref>[https://www.city.tendo.yamagata.jp/tourism/kanko/syougikoma.html 天童と将棋駒]</ref><ref>[http://www.pref.yamagata.jp/ou/shokokanko/110010/kogeihin/sp03-1.html 全国の生産量の大部分を占める天童の将棋駒づくりは、藩士の内職が起源]</ref><ref>[http://www.bs-j.co.jp/genkip/backnumber/sato123.html 元気プロジェクト]</ref><ref>[https://www.city.tendo.yamagata.jp/tourism/kanko/tendo-syougikoma.pdf 天童と将棋駒]</ref>。
 
[[1956年]]天童市で桜まつりが開催されるようになり、その目玉イベントとして人間将棋が行われるようになった。開催当初は地元の名士や市長などが指揮をとって対局していたが、イベントが有名になるにつれて1972年からはプロ[[棋士]]をゲストとして招待するようになり、1992年からは実際にプロ棋士が対局者として指揮をとるようになった。
 
[[イタリア]]の[[マロースティカ]]市では[[人間チェス]]のイベントが1923年より行われており、この縁で1989年に天童市と[[マロースティカ]]は[[姉妹都市]]の提携を結んだ。