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== 略歴 ==
リヴァプールのユースチームで育ち、1996-97シーズンにトップデビューを果たすと、翌シーズンより監督に就任した[[ジェラール・ウリエ]]に重用され、出場機会を増やして成長。[[1999年]][[4月28日]]の[[サッカーハンガリー代表|ハンガリー]]戦で代表デビューを果たし、守備の要として活躍をみせ。2000-01シーズンには[[UEFAカップ]]、[[FAカップ]]、リーグカップの三冠(トレブル)を達成した。
 
[[2002年]]の[[2002 FIFAワールドカップ|日韓W杯]]には出場ならず、その後も故障で戦線離脱するなど苦しい時期も続いたが、2004-05シーズン、それまでは両サイドバックでの出場が多かったが[[ラファエル・ベニテス]]により本格的にセンターバックにコンバートされると、リーグ戦全試合に出場を果たし、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]優勝に大きく貢献した。
 
イングランド代表としては、必ず招集はされるものの、その実力を発揮させる機会が与えられることは少なかった。[[2006 FIFAワールドカップ|ドイツW杯]]では右サイドバックとして4試合に出場したがW杯の後、イングランド代表監督が[[スティーブ・マクラーレン]]に替わったことで代表としての出場機会は激減。[[ジョン・テリー]]や[[リオ・ファーディナンド]]が不調や怪我で出られない時でもスタメンでの出場はままならず、悩んだ末にクラブチームでのプレーに全力を注ぐべく2007年8月、イングランド代表を引退した。皮肉にもその3ヶ月後、イングランドはテリーとファーディナンドを欠いた状態で、急造ディフェンス陣を突かれ[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]にホームで惨敗し、EURO2008を予選落ちで終える事になる{{要出典範囲|キャラガーの代表引退は結果的にイングランド全体に大きく影響することになった|date=2017-04}}
 
なお、[[ファビオ・カペッロ]]監督率いる2010年[[2010 FIFAワールドカップ|南アフリカW杯]]においては、{{要出典範囲|ベテランの力を強く信じるカペッロ監督の熱意に絆され、イングランド代表に復帰しているた|date=2017-04}}
 
2013年2月7日、2012-13シーズン終了後プロサッカー選手としての引退を発表した<ref>{{Cite news|title=キャラガー、今季限りでの引退を表明|publisher=Goal.com|url=http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2013/02/07/3733769/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%82%AC%E3%83%BC%E4%BB%8A%E5%AD%A3%E9%99%90%E3%82%8A%E3%81%A7%E3%81%AE%E5%BC%95%E9%80%80%E3%82%92%E8%A1%A8%E6%98%8E}}</ref>。