「蕗谷虹児」の版間の差分

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[[東堀前通]]八番町付近には、当時から吹屋小路(ふきやこうじ)が存在している。
 
家族4人となり生活に無理が生じ、父が柏崎の新聞社の植字工(印刷工)に転身。一家で柏崎の裏通りの二軒長屋に一年暮らす。病弱な母親がこの頃から寝たり起きたりの生活となり、虹児が使いをするようになる。しかし父親の酒癖の為に暮ら生活は苦は楽にならず父親柏崎で才能生活惜しむ先輩の口添えで再び[[新潟市]]営所通(現・[[新潟市]]中央区営所通)の新潟中央新聞に入社諦める
 
父親は才能を惜しむ先輩の口添えで再び[[新潟市]]営所通(現・[[新潟市]]中央区営所通)の新潟中央新聞に入社。一家営所通の堀端近くにあった新潟中央新聞社の物置きの中二階に引越。父親がアルコール中毒の禁断症状で苦しむようになるが、この頃の虹児は貧しい生活でも父親の酒癖さえなければ天国だったという。
 
[[1905年]] (明治38年) 4月、虹児は西堀小学校(のちの新潟市立大畑小学校、現・新潟市立新潟小学校)に入学。
 
[[1907年]] (明治40年) 2月19日、弟(三男)春男が生まれる。同年、営所通の家で父の素人ばなれした絵と母が描く「たこ入道」の絵を見る。母から受けた絵の指導を受けて虹児は生涯忘れず、絵を描きはじめる。
 
[[1908年]] (明治41年)9月4日、営所通の家に居た一家は[[ 新潟大火]]で焼け出される。
新発田町の「有馬の湯」からほど遠からぬ掛倉町(現・新発田市中央町) 裏路地の七軒長屋に引っ越し、父は新発田町の新聞社に就職。虹児は新発田町の新発田本村尋常高等小学校(三ノ丸小学校)に転校する。
この頃から[[竹久夢二]]の絵を透写する。