「蕗谷虹児」の版間の差分

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[[1919年]](大正8年)竹坡門下の兄弟子の[[戸田海笛]]を頼って上京。戸田海笛の紹介で日米図案社に入社、図案家としてデザインの修行をする。
 
[[1920年]](大正9年)22歳 [[竹久夢二]]を訪ねる。夢二に雑誌『[[少女画報]]』主筆の[[水谷まさる]]を紹介され、「蕗谷紅児」の筆名により同誌へ挿絵掲載のデビューを果たす。[[吉屋信子]]の少女向け小説[[花物語]]に描いた挿絵が評判になり、10月創刊の講談社「婦人倶楽部」のカットなど挿絵画家としての仕事が増え始める。
 
[[1921年]](大正10年)[[竹久夢二]]の許可を取り虹児に改名。[[朝日新聞]]に連載の[[吉屋信子]]の長編小説『海の極みまで』の挿絵に大抜擢され、全国的に名を知られるようになる。
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