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== 経歴 ==
[[トルコ人]]の父と[[ドイツ人]]の母の間に生まれる。母親の再婚後、ドイツ人の継父姓であるショルを名乗る。
SVノルトヴェスト・カールスルーエにてサッカー選手としてのスタートを切る。その後[[カールスルーエSC]]の下部組織に移籍、ビンフレート・シェーファー監督のもと[[1989年]]にプロデビューを果たした
 
[[1992年]]に[[バイエルン・ミュンヘン]]へ移籍後、すぐにレギュラーポジションを獲得。2006-07シーズンの現役引退までバイエルン一筋でプレーし続け、カールスルーエSC時代からのチームメイトであった[[オリバー・カーン]]と共に過去最多15個のタイトルホルダーとしてクラブ史に名を残している。幾度かの怪我もあったが2000年ブンデスリーガ所属の全選手投票によるドイツ年間最優秀選手賞を受賞するなど、ブンデスリーガを代表する選手であった。
 
代表デビュー[[1995年]][[4月26日]]の[[サッカーウェールズ代表|ウェールズ代表]]戦。[[1996年]]の[[UEFA EURO '96|EURO1996]]優勝に大きく貢献したが、[[1998年]]の[[1998 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・フランス大会]]ではベテラン中心で代表を構成したため無念の代表落ちとなる。[[UEFA EURO 2000|EURO2000]]では代表に復帰、守備的なポジションでのプレーを余儀なくされるが、「過去最低」と酷評の的となったドイツ代表で、唯一人ゴールを決めた選手も彼であった。その後[[ルディ・フェラー]]監督就任と同時にショル中心の代表の再建に取りかかるも、再び怪我によって代表を離れ、その後[[オリバー・カーン]]の説得も空しく[[2002年]]の[[2002 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・日韓大会]]代表入りを辞退している。通算36試合出場8得点。
 
2006年12月に2006-07シーズン終了後の現役引退を表明。2007年5月19日、34節の[[1.FSVマインツ05]]戦にて2ー0となる得点を決め有終の美を飾った。[[2007年]][[8月16日]]には[[FCバルセロナ]]を[[アリアンツ・アレーナ]]に招いて引退試合が行われた(結果はバルセロナが1-0で勝利)。