「川手良則」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
1行目:
'''川
== 概要 ==
6行目:
良則は今川氏滅亡後は武田氏に仕え、[[山県昌景]]配下として名を挙げた。
武田氏滅亡後は徳川氏家臣となり、[[天正]]10年([[1582年]])に[[徳川家康]]の命で[[井伊直政]]の姉の[[高瀬姫]]を娶り、直政に仕える。井伊家中では一門筆頭として、筆頭家老格の[[木俣守勝]]よりも席次は上であった。知行は2500石で、後に4000石となる。[[関ヶ原の戦い]]では[[高崎城]]城代として留守を守った。[[松平康安]]の子の川
幕末の[[嘉永]]6年([[1853年]])に[[井伊直弼]]の命で、[[新野親良]]の子の河手良貞により川
== 参考文献 ==
|