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{{出典の明記|date=2015年9月6日 (日) 00:41 (UTC)}}
{{君主主義}}
'''王党派'''(おうとうは、{{Lang-en-short|royalist}})は、[[王|王制]]を支持する政治党派である。フランスのように王制支持派と[[|帝制]]支持派が対立するケースもあり狭義にはあくまで王制のみの支持派を意味するが、広義には帝制などを含めた[[君主制]]支持派王党派と呼ぶこともある。'''[[共和派]]'''とは当然対立する。また国王君主親政を支持する勢力のみを指し、[[議院内閣制]]を前提とする[[立憲君主制]]の支持勢力を含まない場合もある。
 
[[市民革命]]においては[[国民主権]]を主張する[[共和派]]と対立し、[[国王]]および[[王権]]を支持する勢力であるが、必ずしも[[貴族]]が王党派というわけではなく、保守的な[[ブルジョワジー]]、[[市民]]や[[農民]]も、王党派の支持基盤であった。現在でも[[フランスルーマニア]]、[[イタリセルビ]]、[[ロシア]]、旧[[ハプスブルク君主国]]の領域、[[フランス]]、[[ドイツ]]、[[オーストイタリア]]などで[[王政復古|君主制復活]]を目指す王党派が少数活動している。
 
== 各国の王党派 ==
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フランス革命以後、主に[[ナポレオン・ボナパルト]]失脚後に生まれた[[ブルボン家]]支持者を[[レジティミスム|'''レジティミスト''']]と言う。復興王政で反動政治を進めた王党派は、一般に{{読み仮名|'''超王党派'''|ユルトラ}}{{enlink|Ultra-royalist}}と呼ばれる。また[[フランス7月革命]]で成立した[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]]統治の[[オルレアン朝]]支持者を[[オルレアニスム|'''オルレアニスト''']]と言う。いずれも広義には王党派の範疇に入ると言えるが、ルイ=ナポレオン(後の[[フランス第二帝政|フランス皇帝]][[ナポレオン3世]])支持者の[[ボナパルティズム|'''ボナパルティスト''']]と激しく対立した。
 
=== 旧ハプスブルク君主国 ===
[[File:20110716 Otto von Habsburg funeral procession 2181.jpg|thumb|right|210px|[[オットー・フォン・ハプスブルク]]の葬儀において、帝国時代の軍服に身を包んで行進する王党派]]
[[第一次世界大戦]]に敗れた後、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]は解体され、複数の小さな共和国に分裂した。しかし[[ハンガリー]]では王制が復活し([[ハンガリー王国 (1920-1946)|王なき王国]])、最後の国王[[カール1世の復帰運動]]が起きた。その後、カール1世の皇太子であった[[オットー・フォン・ハプスブルク]]が1930年代における[[オーストリア]]の君主制復活運動を指導し、大きな影響力を持った。当時のオーストリア独立維持派の間では、[[ナチス・ドイツ]]との併合を阻止するには[[ハプスブルク家]]の下での君主制復活が最良の方法だと考えられていた。
 
現在、オーストリアでは[[黒黄同盟]]、[[チェコ]]では{{仮リンク|チェコ・コルナ (ボヘミア、モラヴィアとシレジアの君主主義政党)|label=チェコ・コルナ|cs|Koruna Česká (monarchistická strana Čech, Moravy a Slezska)}}といった王党派の政治団体が活動している。
 
=== スウェーデン ===