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初期の[[ヴェネツィア共和国]]では、ドージェの選任方法は明確には定められておらず、有力な家門から選出するという慣例があるのみであった。それ故に、初期のヴェネツィアではドージェが自身の血縁者に後を継がせようとする傾向が強かった。そこで、ドージェが世襲制となることで共和制が崩壊することへの危機感から、ドージェが後継者を指名することを禁じる法律が制定された。[[1172年]]には、ドージェは40人の委員による選挙により決められることとなった。この委員は大評議会から選ばれた4人により選任され、この大評議会は12人の委員会が毎年任命する。[[1229年]]に支持が20対20となり決着しなかったため、これ以後、委員の数は41とされた。
 
[[1268年]]に制定された選挙方法では、まず30人の委員が[[くじ]]により大評議会から選ばれる。この30人はさらにくじで9人に絞られ、この9人が40人を選び、そしてその40人はくじで12人に減らされ、その12人が25人の委員を選ぶ。その25人はくじで9人となり、この9人が45人を定める。45人は11人に絞られ、この11人が、実際にドージェを決める41人を選任するのである<ref name="dogeelection">{{Cite web | author=Miranda Mowbray and Dieter Gollmann | title=Electing the Doge of Venice: Analysis of a 13th Century Protocol | url=http://www.hpl.hp.com/techreports/2007/HPL-2007-28R1.html | accessdate=2007-07-12 }}</ref>。この複雑な制度のために、有力家門といえどもドージェの位を自由にすることは難しくなった。この制度は[[1797年]]の共和国滅亡まで維持された。
 
[[ジェノヴァ共和国]]では[[普通選挙]]で選ばれたが、[[1528年]]の改革で[[プレブス]]の投票権が剥奪された<ref>{{cite book |title=The Penny Cyclopaedia |volume=26 |publisher=Charles Knight & Co |location=London |author=Society for the Diffusion of Useful Knowledge |year=1843}}</ref><ref name="Kleinhenz">{{cite book |title=Medieval Italy: An Encyclopedia |editor-first=Christopher |editor-last=Kleinhenz |pages=635–36 |volume=1 |year=2004 |location=London |publisher=Routledge |isbn=9781135948801}}</ref>。