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差分

== 史跡指定をめぐる諸問題 ==
{{独自研究|date=2014年5月|section=1}}
;=== 境界問題からの限界 ===
史跡に限らず記念物は、名勝でも天然記念物でも一般に「土地に結びついた文化財」(ただし、天然記念物の動物個体指定だけは例外)であり、この場合、たとえば、古戦場跡や[[街道|旧街道]]跡は、指定面積が限定しにくいため、境界が確定できる区域に限って史跡指定される性格をもっている。
 
=== 旧跡 ===
;伝承地の問題
また、「[[平将門の首塚]]」のように[[口承|伝承地]]としては長い歴史をもつものの、史実としては、実際に[[平将門]]の首が埋葬されたとは到底考えられない遺跡も「史跡」の要件を満たすことは難しく、[[東京都]]では「記念物」には含めるものの「史跡」には含めず、それとは別のカテゴリ、すなわち、都指定史跡に準ずるもので、歴史の正しい理解のために欠くことができず、その遺構に歴史的価値の痕跡が残っているもの、または旧態を推定し得るものとして'''旧跡'''という指定区分を設け、保存措置を講じている。
*東京都の事例
*:「[[東京大学大学院理学系研究科附属植物園#小石川植物園(本園)|小石川御薬園]]」も、現在は[[東京大学大学院理学系研究科附属植物園]]となっているが、往事に植栽されたものとは内容も構成も異なっており、施設などの面でも往事の痕跡はとどめないので、東京都では「旧跡」に含めている。他の東京都指定旧跡には、[[練馬城|練馬城跡]]、[[世田谷城|世田谷城跡]]、[[御茶ノ水]]などがある。
*埼玉県の事例
*:埼玉県も「旧跡」の指定区分を採用しており、[[さいたま市]]の[[寿能城|寿能城跡]]、[[行田市]]の[[忍城|忍城跡]]、深谷市の[[渋沢栄一]]生地、[[富士見市]]の[[難波田城|難波田氏館跡]]が指定されている。
 
;=== 「開発」記録保存か遺跡保存かの問題 ===
「[[長屋王]]邸宅跡」のように保存されていれば特別史跡に指定された可能性のきわめて高い{{誰|date=2009年6月}}遺跡も、[[発掘調査]]はなされたものの遺跡が破壊されてしまい「[[奈良そごう]]」(現在は[[イトーヨーカドー奈良店]])となってしまったため、「史跡」には指定されなかった。一方、[[三内丸山遺跡]]のように、発掘調査によって遺跡の重要性が判明したため、既に着工していた野球場建設を中止し、遺跡の保存を決定し、特別史跡に指定されている例がある。
 
;=== 史跡指定と有形文化財指定との関係 ===
土地は記念物(史跡など)であるが、建造物は[[有形文化財]]である。文化財保護法に基づく各文化財の指定基準による指定の例によれば、例えば[[姫路城]]を例にとると、敷地およびそれと結びついた石垣、濠等の遺構としては「特別史跡」、個々の建造物のうち、大小天守・渡櫓の8棟は「国宝」、櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟は「重要文化財」として指定されている。
[[神戸市]]の「[[箱木家住宅]]」([[重要文化財]])のように建築史上、建物自体が重要だという遺構に関しては、史跡ではなく[[有形文化財]]([[国宝]]、重要文化財)として指定されている。ここでの指定は、いわば土地とは切り離されており、場合によっては、[[博物館明治村]]の移築建造物のように、指定はそのままで移築がなされることもある。一方、建築物として重要であるが敷地である土地や付属する井戸等も合わせて保存を図ろうとする重要文化財の例がある。それに対し、[[萩市]]の「[[伊藤博文]]旧宅」(史跡)は土地と結びついてこそ重要であるとの見地から、史跡として指定され、記念物に含められている。
 
;=== 陵墓および陵墓参考地との問題 ===
「[[大仙陵古墳]]」や「[[誉田御廟山古墳]]」をはじめとする「[[陵墓]]」は、[[宮内庁]]が管理し、現在も[[皇室]]による祭祀が行われている。そのため研究者が自由に立ち入って調査することができない<ref>2008年2月22日、宮内庁が管理する神功皇后陵([[五社神古墳]])に[[日本考古学協会]]など16学会の研究者代表らが墳丘に立ち入り調査をした。「陵墓」に学会側の立入が認められたのは初めて。(2008年2月23日「朝日新聞」)</ref>。宮内庁により管理・保存が講じられているため、史跡等の指定の対象とされていない。このことについては、考古学研究者、歴史研究者からの根強い批判がある<ref>森(1996)。</ref>。
 
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