「遠山茂樹 (日本史家)」の版間の差分

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没後のシンポジウム開催。
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2011年8月31日、老衰のため死去。97歳没{{R|訃報}}。
 
遠山没後の[[2012年]]1月21日、歴史科学協議会・歴史教育者協議会・歴史学研究会の共催により、明治大学駿河台校舎リバティータワーでシンポジウム「遠山史学と歴史学の現在」が開催された。開催趣旨に「氏の学問は、明治維新史や自由民権運動研究をはじめとする日本近現代史、東アジア歴史像の再検討を通じた史学方法論、昭和史論争における歴史叙述をめぐる問題、歴史教育論にいたるまで幅広い分野にわたっている。また歴史学の成果を広く社会に還元し、共有していくという活動にも積極的に関わってこられた。氏の戦後 50 年近い研究・教育活動の軌跡を振りかえりつつ、歴史学の現在と今後について考える意義ある場にしたい」と書かれている。報告者は、板垣 雄三(遠山さんと〈東アジア〉歴史像)、大門正克(昭和史論争後の遠山茂樹―論争の課題をどのように受け継ごうとしたのか)、大日方純夫(遠山史学における「自由民権」の位置)、丸浜昭(遠山氏の歴史教育論の何にこだわってきたか)の4氏であった。板垣先生からは、遠山さんはあちこちに呼ばれ忙しく家に寄り付かないと奥様によく怒られていた、という逸話が紹介された<ref>{{Cite web |author=歴史学研究会 |date=2017-01-21 |url=http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/movement/toyamasinposyusibun.pdf |title=シンポジウム「遠山史学と歴史学の現在」
|format=PDF|work= |publisher=歴史科学協議会 |accessdate=2017-04-13}}</ref>。