「墨俣川の戦い」の版間の差分

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合戦の結果は行家率いる源氏軍の大敗北であり、敗因としては行家と義円で先陣を争った指揮系統の乱れ、また源氏方が低湿地を背後にして戦ったため機敏な退却ができなかったことなどが損害を多くした原因と考えられる。
 
平氏があくまで都を中心とした専守防衛体制を堅持したことにより、平氏の[[西国]]支配、[[源氏]]の[[東国]]支配、[[奥州藤原氏]]の東北支配という勢力分布が一層明確なものとなった。また壊滅的な打撃を蒙って逃亡した行家は頼朝方へ屈する形となった。しかし挙兵後より不和となっていた二人はほどなく所領をめぐって対立し、ほどなく行家は[[源義仲]]の元へと走ることとなった。
 
なお、源平墨俣川古戦場は、大垣市指定史跡となっている<ref>{{Cite web |date=2013-03-01 |url=http://www.city.ogaki.lg.jp/cmsfiles/contents/0000012/12659/cultural_properties.pdf |title=指定文化財一覧表 |format=PDF |publisher=大垣市 |accessdate=2013-05-15}}</ref>。