「第500SS降下猟兵大隊」の版間の差分

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|名称 = 第500SS降下猟兵大隊
|画像 = [[File:Ss fj 500 drvar.jpg|300px]]
|画像説明 = [[w:Operation Rösselsprung (1944)|ロッセルスブルンク作戦]]に備える大隊兵士(1944年)
|画像説明 = 大隊の兵士たちはオペレーションの準備を整えていますRösselsprung
|創設 = 1944年10月
|廃止 = 1945年[[5月8日]]
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1944年5月25日、第500SS降下猟兵大隊はクルト・リブカ(Kurt Rybka)[[親衛隊大尉]]の指揮の下、[[ドルヴァル]](Drvar)にある[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]率いる[[パルチザン (ユーゴスラビア) |パルチザン]]本部に対する[[グライダー]]による強襲を行った。
 
作戦は[[w:Operation Rösselsprung (1944)|騎士の跳躍作戦]](Unternehmen Rösselsprung)と呼ばれ、6月6日付の[[ドイツ国防軍]]の日報で報告されている。2個[[中隊]]が[[DFS 230 (滑空機)|DFS230グライダー]]で着陸する間、他の2個中隊がチトー司令部へ直接降下した。ドイツ空軍による銃爆撃の後、第一波はチトーの隠れ家であったドルバルの洞窟と町の間に降下した。
 
部隊は広い平原に降下したが、多くの将兵がパルチザンの司令部護衛大隊の攻撃を受け、中隊は100名足らずになるまで損害を受けた。第二波は目標を離れて町から2、3マイルの場所に降下していたが、隠れ家のある洞窟の出口付近には[[ヤイツェ]]への抜け道が存在していたため、洞窟を占領したとき、ティトーはヤイツェから鉄道で脱出していた。