「スーパー32X」の版間の差分
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1990年代前半、セガでは次世代機([[ゲーム機#第5世代(1990年代中盤 - 1990年代後半)|第5世代]]にあたる)・セガサターンの開発が進んでいた一方、セガ・エンタープライゼス(以下「日本セガ」)の[[中山隼雄]]社長が米セガのR&D部門トップであるジョー・ミラーらに、北米で1994年末に発売予定の''"Project Jupiter"''と称するカートリッジベースの次世代機の構想を伝える。これは中山がGenesisとセガサターンの価格差によって、その間隙をライバル機の[[Atari Jaguar]]に奪われる懸念を抱いたためで、社長のトム・カリンスキを始めとする米セガの重役たちもその考えを支持した。Jupiterの設計はメガドライブの設計者でもある[[佐藤秀樹]]の担当によるもので、メガドライブ版『[[バーチャレーシング]]』用に開発された[[セガバーチャプロセッサ]]を搭載し、メガドライブとセガサターンの間を埋めるハードになる予定だった。
しかし、ミラーはサターンの北米展開前にまったく別のプラットホームを推し進めることの懸念を表明し、「Genesisのアドオンにすべきだ」と主張する<ref name="Miller">{{cite web|author=Horowitz, Ken|title=Interview: Joe Miller|publisher=Sega-16|url=http://www.sega-16.com/2013/02/interview-joe-miller/|date=February 7, 2013|accessdate=January 10, 2014}}</ref>。この提案によってJupiterの開発は中止され、米セガ主導による「カートリッジベースのGenesis用周辺機器」へと方針変更し、企画も''"Project Mars"''と呼ばれることとなった。CPUにバーチャプロセッサではなくサターンと同じSH-2を搭載することになったのはミラーの提案であることから、カリンスキはミラーを「32Xの父」と呼んでいる。32Xの市販モデルは、1994年6月に開かれた[[コンシューマー・エレクトロニクス・ショー]]
Genesisに32Xを搭載することで、上述のようなサターンとの価格差を埋める存在になるほか、ライバルのSNESに対して劣勢だったグラフィック性能で優位に立ち、さらには当時の次世代機でフィーチャーされていた3DCGを扱うことが可能となった。しかし、ライバル機の[[3DO]]を展開する3DO社の[[トリップ・ホーキンス]]は、「32Xは値段がかなり高い、性能が低い、プログラミングが難しい、サターンとの互換性が無い、など“咬ませ犬”に過ぎないことはみんな知っており、'next generation'になり得ないのは明白だった」との見方を示していたことを後年に明かした<ref name="Kent_pp424_431">{{cite book |last=Kent |first=Steven L. |authorlink=Steven L. Kent|chapter=Run for the Money|title=The Ultimate History of Video Games: The Story Behind the Craze that Touched our Lives and Changed the World |year=2001 |publisher=Prima Publishing|isbn=0-7615-3643-4}}</ref>。
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[[ソフトウェア]]供給は32X専用のROMカートリッジに加え、32Xと[[メガCD]]を同時に使用する「'''スーパー32XCD'''」用[[CD-ROM]]が供給された。スーパー32XCD用ソフトは欧米とブラジルでのみリリースされ、日本国内では発売されていない。『GamePro』誌(1994年8月号)が「ゲーマーなら高い金をかけて日本からサターンやプレイステーションを取り寄せるよりも今すぐ32Xを買うべきである。それ以外の人も買って損は無い」などと熱狂的に書き立て、『Electronic Gaming Monthly』の1995年度バイヤーズ・ガイドなども4人の評価者が8点/7点/7点/8点(全40点満点)と肯定的に評価するなど、前評判は非常に高かった。
日本では1994年12月、日本セガ主導によるサターンの発売(1994年11月)翌月に販売を開始した。前述のように、日本市場におけるメガドライブの普及度と比例して売り上げが伸びず、日本セガとしてもスーパーファミコンに大敗したメガドライブの周辺機器を強く推すことには消極的であり、1994年後半より[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]](以下「PS」)との次世代機戦争が始まったサターンのプロモーションに完全に隠れてしまい、結果としてスーパー32Xは普及しなかった。1994年後半における日本の代表的なメガドライブ専門誌であった『[[ゲーマガ|Beep!メガドライブ]]』誌のみ、スーパー32Xをサターンと同程度の規模で取り上げていたが、同誌もサターンの発売と同月の1994年12月発売号より
米国市場においては1994年11月に発売され、米セガが32Xを推す一方でサターンの北米発売もすでに1995年9月と告知されていた。このことから32Xへの参入を見送ったサードパーティも多く、ローンチタイトルこそ少なかったものの、『[[スペースハリアー]]』『[[アフターバーナー (ゲーム)|アフターバーナーII]]』『[[バーチャレーシング]]』『[[モータルコンバット|モータルコンバットII]]』の史上初となるコンシューマ完全移植が用意された。米セガがサターンの発売を遅らせてまで32Xのプロモーションを仕掛けたことと、北米トップシェアハード<ref>1994年末の時点で北米でのシェア55%・約2000万台の普及台数を記録していた。</ref>であるGenesisの周辺機器ということもあって、クリスマスまでに50万台を売り上げた<ref name="sales"/>。前述のように32Xとサターンは同じチップが使われており、チップを日本市場向けのサターンへ回す必要があったため、32Xを十分に供給できなかったものの、ホリデーシーズンにおける32Xの受注自体は100万台を超えるほど好調だった。
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一方、すでに北米のゲーマー・ゲーム会社にもサターンとPSによる日本の次世代機戦争の噂、さらにこの頃にはSNESの次世代機・[[NINTENDO64]]の噂が届いており、SNESやGenesisなどは眼中に無かった。32X用ソフトも依然揃わず、サターン(とPS)の北米発売を数か月後に控え、ローンチ直後の売り上げこそ華々しかった32Xの販売台数は1995年5月の時点で665,000台に留まった<ref>"Videospiel-Algebra". Man!ac Magazine. May 1995</ref>。このことから、セガは「2つの似たような製品をそれぞれセグメント化して、別々の価格帯で販売する[[ゼネラル・モータース]]のようなやり方を取っている」などととジャーナリストに批判されたこともある<ref name="FinWorld">{{cite journal|author=Morris, Kathleen|title=Nightmare in the Fun House|journal=[[Financial World]]|date=February 21, 1995|volume=32}}</ref>。
日本市場ではサターンの売り上げがPSより先に100万台を突破したことから日本セガは方針を転換し、カリンスキの頭越しに北米市場での32Xの販売拡張を切り上げ、1995年5月に開催された[[Electronic Entertainment Expo]]
北米でのサターン発売以降、大半のサードパーティは32Xからサターン用ゲームの開発に切り替えたため、32Xのソフト不足は最後まで解消しなかった。また、セガは32Xを「32bit級」の性能であると主張していたが、サターンやPSなどの次世代32bit機が北米で出揃うにつれ、特に3D性能における32Xの性能不足が明らかとなった。
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== トリビア ==
* 幻のハードSega Neptuneは、[[コンパイルハート]]が2009年に製作したゲーム『[[超次元ゲイム ネプテューヌ]]』のモチーフとなった。『[[新次元ゲイム ネプテューヌVII]]』のタイトルはスーパー32Xのキャッチコピー「'''メガドライブ新次元'''」に由来する。
* 日本市場におけるスーパー32Xの最も主要なサードパーティは[[アクレイム・エンタテインメント|アクレイム・ジャパン]]であった。日本ではスーパー32Xの売れ行き不振のため、
== 仕様 ==
メガドライブ/メガCDの機能を合わせて使用可能。
* CPU SH-
* RAM 2Mbit
* VRAM 2Mbit
** 同時発色数 最大32768色
* 10-bit [[パルス幅変調|PWM]]音源 2ch
** メガドライブ(FM音源 6ch+PSG 3ch+ノイズ
** メガドライブとメガ
* 寸法 107 × 205 × 110 mm
* 重量 495 グラム
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