「アーヘン大聖堂」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
20行目:
== 概要 ==
[[Image:Chorhalle Apostelzyklus2.jpg|thumb|150px|left|ガラスの礼拝堂]]
アーヘン大聖堂はしばしば「皇帝の大聖堂」([[ドイツ語]]:'''Kaiserdom''')として言及され、この大聖堂は北部ヨーロッパでは最古のものである。[[786年]]に[[カール大帝]]がアーヘンの宮殿教会の建設を始めた。[[814年]]にカール大帝が死ぬと彼は自身の大聖堂に埋葬され、彼の骨はいまも特別の神殿に保存されている。
大聖堂は、一千年以上の時を経て、現在の装いを調えた。 アーヘン大聖堂の中心は宮殿教会である。それは後世の増築部分と比較すると驚くほど小さいが、建設当時は、それは[[アルプス山脈|アルプス]]以北では最大のドーム建築であった。
[[古典主義建築|古典主義様式]]、[[ビザンティン建築|ビザンティン様式]]そして[[ゲルマン建築|ゲルマン様式]]-[[フランク王国様式]]の要素を備えた心を奪う建築は、きわめて重要な記念碑的建造物の真髄である。アーヘン大聖堂は、[[936年]]から[[1531年]]にかけての約600年間に[[神聖ローマ帝国]]の30人の[[皇帝]]たちの[[戴冠式]]が執り行われた場所でもある。