「集積回路」の版間の差分

著名な集積回路の特許は、米国の別々の2つの企業の、2人の研究者による異なった発明にそれぞれ発行された。[[テキサス・インスツルメンツ]]の[[ジャック・キルビー]]の特許「Miniaturized electronic circuits」は1959年2月に出願され、1964年6月に特許となった({{US patent|3138743}})。[[フェアチャイルドセミコンダクター]]の[[ロバート・ノイス]]の特許「Semiconductor device-and-lead structure」は1959年7月に出願され、1961年4月に特許となった({{US patent|2981877}})。
 
実際のところ、それぞれの特許の中身を見ればそれぞれの発明の内容は異なったものであって、どちらの発明が、こんにちの集積回路に至る道の「王道」に当たるのか、は技術の心得がある者には明らかである。しかし、「[[キルビー特許]]紛争」などと呼ばれる紛争などようより(ちなみに「キルビー特許」に対し、ノイスの特許は「プレーナー特許」と呼ばれることがある)多くの議論を発生させていこととなった
 
技術的な内容とはほぼ無関係に、業界の権益争いとして、特許優先権委員会においてどちらの特許が「集積回路の特許」として有効であるか、を、法的に認定させる争いが勃発した(技術的な判断が目的なのではなく、あくまで、「法的にどちらが有効か」を認めさせることが目的である)。キルビーの特許出願から10年10か月を経て決着し、ノイスの勝利が確定した。しかし、そのような法的勝利は、実際にはほとんど意味がなかった。前述のように、技術的にはどちらが本質かは明らかであるが、ライセンスビジネス的には、1966年に[[テキサス・インスツルメンツ]]と[[フェアチャイルドセミコンダクター]]を含む十数社のエレクトロニクス企業が集積回路のライセンス供与について合意に達していたからであり、技術と法律とビジネスというものについて、教訓的な事例となっている。またさらに日本では、20年の紆余曲折を経て1989年に特許となったことで莫大な額の請求等を伴う紛争となり「サブマリン特許制度」のたちのわるさを際立たせるという役割を担う結果となった。