「アンナ・パヴロワ」の版間の差分

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パヴロワは1931年1月、風邪をこじらせたまま巡演に出発し肺炎となった<ref name="AP"/>。症状はさらに悪化し、[[オランダ]]の[[デン・ハーグ|ハーグ]]到着後に[[胸膜炎]]と診断された。外科手術を勧められたが、手術をすれば舞踏手としては再起不能になると告げられたためにこれを拒否し、闘病の末に亡くなった。50歳の生涯だった。パヴロワが出演を予定されていた公演は通常通り行われ、『瀕死の白鳥』 の曲が流れると共にパヴロワがいつも踊っていた軌跡をたどるようにスポットライトが無人の舞台を照らし、観客はパヴロワの早い死を悼んだという。パヴロワの名を汚さぬよう、またパヴロワと比較されてしまうのを恐れて、『瀕死の白鳥』 は以後同じロシアの偉大なバレエダンサー[[マイヤ・プリセツカヤ]]が違う振り付けで踊るまで20年間誰も踊ることがなかった。
 
パヴロワの遺体はロンドンで火葬されたが、遺族によって[[2001年]]に、[[1944年]]に亡くなった夫のビクター・ダンドレの遺灰と共に[[モスクワ]]の[[ノヴォジェデヴィチ女子修道院|ノヴォデヴィチ墓地]]に改葬された。
 
== 洋菓子「パヴロワ」 ==