「プラネタリウム」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m Eepees (会話) による版を 61.116.239.166 による版へ巻き戻し
拓雄 (会話 | 投稿記録)
→‎前史: 太陽系儀 2017年4月17日 (月) 11:54 から加筆
8行目:
== 歴史 ==
=== 前史 ===
{{Multiple image
[[画像:FranekerPlanetarium.JPG|right|224px|thumb|フラネカーに現存するアイゼ・アイジンガーの惑星運行儀]]
|direction = vertical
[[アルキメデス]]は、[[太陽]]・[[月]]・惑星の運行を再現する装置を所持していたとされる。[[アンティキティラ島の機械]]の発見により、そのような[[天体]]の運行を再現する装置は紀元前に既に存在していたことが実証された。
|width = 200
|image1 = NAMA Machine d'Anticythère 1.jpg
|caption1 = [[アンティキティラ島の機械]]
|image2 = orrery small.jpg
|caption2 = [[水星]]、[[金星]]、[[地球]]、[[月]]の運行を再現する小さな[[太陽系儀]]
|image3 = FranekerPlanetarium.JPG
[[画像:FranekerPlanetarium.JPG|right|224px|thumb|caption3 = オランダのフラネカーに現存する[[アイゼ・アイジンガー]][[惑星運行儀]]
}}
[[アルキメデス]]は、[[太陽]]・[[月]]・惑星の運行を再現する装置を所持していたとされる。[[キケロ]]の著作によれば、[[紀元前1世紀]]に[[ギリシャ]]の哲学者、[[ポセイドニオス]]が[[アンティキティラ島の機械]]として現在知られている機械を製作したと記述されている。この機械は[[太陽]]と[[月]]、その当時知られていた、[[水星]]、[[金星]]、[[地球]]、[[火星]]、[[木星]]、[[土星]]の惑星運行を再現するものであったらしい。[[1901年]]に{{仮リンク|アンティキティラの沈没船|en|Antikythera wreck}}から[[アンティキティラ島の機械]]が発見されたことにより、そのような[[天体]]の運行を再現する装置は紀元前に既に存在していたことが実証された。
 
[[カンパヌス|ヨハンネス・カンパヌス]] (1220-1296) は''Theorica Planetarum'' ([[太陽系儀]])を建設した。今日で1348年から1364年にかけて時計師の[[ジョバンニ・デ・ドンディ]]18世紀[[アストラリウム]]を製作した。近代的な太陽系儀は[[1704年]]に[[時計師]][[ジョージ・グラハム (時計師)|ジョージ・グラハム]]と[[トーマス・トンピョン]]によって作られた。グラハムは自らの[[パトロン]]だった、アイルランドの[[:en:Charles Boyle, 4th Earl of Orrery|第4代オーラリー卿に因ん伯爵]]の名を取って、この太陽系儀を「オーラリー」と名づけた。以降、英語圏は太陽系儀のことを「orrery」(オーラリー)と呼ばれぶようになる。
 
18世紀において、小型のオーラリーは迫力を欠いていた。18世紀末には複数の教育者達が、大型の天界を再現する装置を造った。アダム・ウォーカー(1730-1821)と彼の息子たちが製作した"Elaborate Machine" は全高12フィート、27インチ径のもので、垂直に立てられていて球体は巨大で目立っていた。その装置は[[説法]]に用いられた。
 
現存する最古の作動する惑星運行儀は、オランダの[[フラネカー]]に見ることができる。[[アイゼ・アイジンガー]](1744-1828)によって彼の居室に7年の歳月をかけて製作され、1781年に完成した
 
日本では[[江戸時代]]末期の[[1851年]]に[[田中久重]]によって上部に天象儀を備えた[[万年自鳴鐘]]が製作された。
 
このような機械仕掛けで天体の運行を再現する惑星運行儀は日本ではこれまでこれまで一部の博物館に展示されているくらいで馴染みがなかったが、[[デアゴスティーニ・ジャパン]]から2009年01月13日から2011年01月06日にかけて通算103巻の「週刊 天体模型太陽系をつくる」が刊行され、普及した<ref>{{citation|url=http://deagostini.jp/item/partwork_detail.php?code=tmt |title=天体模型・太陽系を作る }}</ref>。
 
=== 光学式プラネタリウムの開発 ===