「唐十郎」の版間の差分

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* 唐十郎の[[喧嘩]]武勇伝については枚挙に暇がない。1969年12月5日、[[寺山修司]]は状況劇場のテント興業の初日に祝儀の花輪を「冗談のつもり」で葬式用の花輪にした(これは寺山の[[天井桟敷 (劇団)|天井桟敷]]の旗揚げ公演の際に中古の花輪を送られた事への意趣返しだった)。一週間後の12月12日、唐は劇団員を引き連れて天井桟敷を襲撃、大立ち回りを演じて、乱闘事件を起こしたかどで唐と寺山を含む双方の劇団員9人が暴力行為の現行犯で逮捕される。寺山曰く「ユーモアのつもりだったが分かってもらえなかった」、唐曰く「ユーモアのつもりなら自分で持って来い、そもそも話を聞こうと思って行っただけ。これは殴り込みではない」<ref>[[1969年]][[12月13日]][[朝日新聞]]夕刊から、趣旨のみ。なお、唐は自著「風に毒舌」の巻末自作年譜でこの事件を「1969年夏」としているが、勘違いと思われる。</ref>。また、[[野坂昭如]]とも[[新宿ゴールデン街]]の飲み屋で大喧嘩し、包丁をまな板に突き立ててしまったこともある。また、[[赤塚不二夫]]の著書によれば、酒場で喧嘩があると聞くと乱入し、大立ち回りをし、見得を切ることもしばしばだったという。
*自らの幼年期の記憶に生まれ育った[[御殿場]]での体験がある。当時唐の母親は「富士山の地底奥深くに[[地底人]]が住んでおり、地上侵略のため夕方辺りが薄暗くなると富士五湖から這い上がってきて侵略に来る」という作り話を子供の唐に吹き込んだと言う。その体験が後の唐の作風に影響を与えている。駅のコインロッカーの一部に異次元へと繋がるドアがあると言う唐の初期戯曲はこの体験が元となっている。
* [[小林薫]]が状況劇場を退団したいと言う話を聞いた唐は、小林のことを高く評価していたため、退団を考え直すよう説得しようと包丁持参で小林の住んでいたアパートに向かう。しかし先に小林が逃げ出していたため説得はできず、結局小林の退団をなし崩しに認めてしまったと、後に[[いつみても波瀾万丈]]唐十郎血風録』に出演した際に告白している。
* 1970年、自身による作詞・歌の[[レコード]]『愛の床屋』を発売。歌詞に対して全日本床屋組合よりクレームがつき、[[発売禁止]]、[[放送禁止]]となる。
* [[若松孝二]]によれば、紅テントの買い替え費用は酒の席の約束にも拘らず[[赤塚不二夫]]が出したそうである。1970年代半ばのことで、750万円であった。
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