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== 経歴 ==
[[埼玉県]]出身。[[1922年]]東京外国語学校(現・[[東京外国語大学]])[[ロシア語]]科卒<ref name=gi/>。卒業後は[[東京日日新聞]]の記者となり、[[モスクワ]]特派員、外国通信部副部長、ロシア課長、出版局編集部長、[[毎日新聞社]]出版局長などを歴任し<ref name=gi/>。[[1946年]]の[[第22回衆議院議員総選挙]]で埼玉県から日本社会党公認で立候補するが、次点となった。同年5月に[[鴻巣市|鴻巣町]]長に就任する。翌[[1947年]]町長を辞任し、4月の第1回[[埼玉県知事]]選挙に社会党公認で立候補したが落選。同月末の[[第23回衆議院議員総選挙]]で[[埼玉県第4区 (中選挙区)|埼玉4区]]から社会党公認で立候補して当選した。次の[[1949年]]の[[第24回衆議院議員総選挙]]で落選。同年6月に再び鴻巣町長に就任した。[[1951年]]鴻巣町の隣の行田市長選挙に立候補して当選した<ref name=shi/>。
 
市長時代は増加する市民とその要求に対処できる行政サービスの強化が課題であった。まず、母子寮の改修、市営住宅や公園、屎尿処理場の建設、市の広報の創刊、更には市営競輪の開催を行った<ref name=shi/>。市長は1期4年で退任し、後任は前市長(初代)の[[奥貫賢一]]が就任した。