「ゼイリブ」の版間の差分
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街の横丁にたどりつきそのダンボール箱を開けた。中には黒い[[サングラス]]がぎっしりとつまっていた。そのうちのひとつを手にとると、残りはダンボール箱のままゴミ箱に捨てた。
何気なくそのサングラスをかけて街をブラブラと歩き始めた。すると街の景色が何やらいつもと違って見える。宣伝の平凡な写真の[[看板]]や[[カリブ海]]旅行の看板をメガネを通して見ると、「[[命令]]に従え」「[[結婚]]して、[[出産]]せよ」と書いてある。サングラスを通して見ると、[[雑誌]]にも[[新聞]]にも[[テレビ放送]]でも「[[消費]]しろ」「考えるな」「眠っていろ」「[[権力]]に従え」などの不気味な命令文に満ち満ちているのが見える。しかも街に溢れる人々の大半は、[[骸骨]]のような恐ろしい顔をした[[
と、突然、[[警官]]がナダに襲いかかってきた。サングラスを通して見ると、その警官も
ナダたちは
== キャスト ==
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それらの要素に加えて、1980年代にかつてないほどに増大した通俗的な[[資本主義]]に対する、カーペンター監督の嫌悪感が表現されている。カーペンター監督はかつて次のようにコメントしたことがある。「ふたたびテレビを見てすぐに気づいたことは、テレビ画面に映し出される映像は全て、我々に何かを売りつける意図のもとにデザインされているということです。映像はすべて我々に何かを買いたいという欲望を起こさせることを意図して作られているのです。彼ら(映像の作り手)がやりたいことと言えば、我々のお金を奪うことだけです」。
この作品では、邪悪な者たちを骸骨のようなエイリアン([[異星人]])に喩えつつ<ref>人間らしい血の通ったあたたかい心を共有してはいないものたちだと、「人間ではない」「ひとでなし」だと暗示するための比喩的で視覚的・映画的な技法。</ref>、彼らが[[テレビ]]放送、[[マスメディア]]を用いて自分たちの姿をまともな人間であるかのようにいつわり、また[[洗脳]]手法、例えば[[サブリミナル効果]]の手法を用いて社会を支配し人々に悪影響を及ぼしている様子が衝撃的に描かれている。
劇中主演の[[ロディ・パイパー]]と[[キース・デヴィッド]]が約6分にわたって繰り広げる[[バックドロップ]]などの[[プロレス技]]を応酬する喧嘩シーンがある。また後半に劇中の登場人物が暴力的な映画を糾弾する内容のテレビ番組を見ているシーンがあり、その番組の中でコメンテーターが「カーペンター監督作品は特に酷い」と名指しで批判しているといったジョークを挿入している。
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