「二二諸国」の版間の差分

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==歴史==
[[カサ王国]]の滅亡後、中部[[カルナリ地方]]は同国を滅ぼしたラースコート地方の王[[マラヤ・ヴァルマー]]の支配下に置かれた<ref name="佐伯478">佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.478</ref>。王は[[ジュムラ郡|ジュムラ]]、[[ジャージャルコート郡|ジャージャルコート]]、 [[ダイレク郡|ダイレク]]、[[ルクム郡|ルクム]]、[[サリャーン郡|サリャーン]]に領土を分割した<ref name="佐伯478"/>。
 
名称の由来としては、ジュムラ王国の民衆が「22の峡谷に住む人々」と言及されており、ジュムラを中心に歴史が動いてきたカルナリ地方の小国の総称として「二二諸国」と呼ばれるようになったとする説がある<ref name="佐伯479">佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.479</ref>。なお、22という数値は概数で、20数ヵ国程度の国々という意味で漠然と用いられていた、と[[佐伯和彦]]は述べている<ref name="佐伯479"/>。実在の確認されている諸国は以下の通り。
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*[[二四諸国]]
 
{{デフォルトソート:22にしゆうにしよこく}}
[[Category:ネパールの王朝]]