「論蔵 (パーリ)」の版間の差分

→‎構成: 出典の当該章には南伝についての言及はないし、「阿羅漢にしかなれない仏教」とも書かれていません。
(→‎構成: 出典の当該章には南伝についての言及はないし、「阿羅漢にしかなれない仏教」とも書かれていません。)
*『'''[[発趣論]]'''』(ほっしゅろん、{{lang-pi-short|Paṭṭhāna}}, '''パッターナ''')
 
日本[[竹村牧男]]は新興大乗仏教界では、が小乗と呼んだ当時の伝統仏教(部派仏教(特に南伝)は[[阿羅漢]]を最終目標とかなれな仏教され説明してい<ref>[[竹村牧男]]著(講談社現代学術新書) 『インド仏教の歴史 - 覚りと空』 第3章 大乗仏教の出現、126-140頁。</ref>ことがあるが、『双論』の Yamaka には双子の意味もあり<ref>『パーリ語佛教辞典』 [[雲井昭善]]著 (山喜房仏書林) 「Yamaka」。</ref>、Yama は[[閻魔]]([[閻魔#インドの「ヤマ」|ヤマ]])の意味もある<ref>『パーリ語佛教辞典』 雲井昭善著 (山喜房仏書林) 「Yama」。</ref>。{{要追加記述範囲|[[密教]]や[[大乗仏教]]圏で説かれる[[明王]]の[[ヤマーンタカ|降閻魔尊]]と通じるものである。|title=何がどう「通じる」のか明確に書かれるべきである。前段の「〜が多いが」という前提と、この後段のヤマーンタカ論との関係も不明瞭。綴りが同じだと言いたいだけなら、はっきりとそう書くべきである。|date=2017年4月22日 (土) 01:20 (UTC)}}
 
==日本語訳==