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=== 兵主神 ===
『[[史記]]』「封禅書」では蚩尤は八神のうちの「兵主神」<ref>「封禅書」に説かれている八神は、天主神・地主神・兵主神・陰主神・陽主神・月主神・日主神・四時主神である。</ref>に相当するとされ、戦の神と考えられている。また戦争で必要となる[[戦斧]]、[[楯]]、[[弓矢]]等、全てのなど優れた[[武器]](五兵)を発明、あるいはそれらに金属を用いるようになったのは蚩尤であると伝説されており<ref name="松村" />、『[[世本]]』では蚩尤が発明した五兵(5つの兵器)として戈(か)・矛(ぼう)・戟(げき)・酋矛(しゅうぼう)・夷矛(いぼう)<ref>『世本』作篇 「蚩尤作五兵。戈、矛、戟、酋矛、夷矛、黄帝誅之涿鹿之野。」</ref>が、『龍魚河図』では兵杖・戟・刀・[[弩|大弩]]が挙げられている。『[[呂氏春秋]]』「蕩兵」では、蚩尤は兵(兵器)を発明した元祖であると人々は言うが蚩尤は活用をしただけであり、それ以前から木などをつかった武器(械)は存在していた<ref>国民文庫刊行会 『国訳漢文大成 経子史部第20巻』 国民文庫刊行会 1924年 104頁</ref>、と説かれている。蚩尤が反乱を起こしたことで、これ以降は法を定めて反乱を抑えなければいけなくなったとも言う。『[[管子]]』でも金属を用いて剣・鎧・矛・戟などを蚩尤がつくりだしたと記されているが、ここでは蚩尤が黄帝の権臣として登場しており、両者の関係性がまったく異なっている<ref>[[早稲田大学]]編集部 『漢籍国字解全書 先哲遺著 第19巻』([[管子]]国字解 下巻) 早稲田大学出版部 1911年 263-264頁</ref>
 
古代中国の[[鼎]](かなえ)に文様として描かれている怪物のような顔は[[饕餮]](とうてつ)を示したものとされることが多いが、この顔は蚩尤のものであるとする伝承も存在している。黄帝によって討たれた蚩尤の首をあらわしているとされる<ref name="袁珂">[[袁珂]] 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 200-217頁</ref>。
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== 九黎 ==
蚩尤に味方したのは勇敢で戦の上手い[[九黎]]族、北方に住む巨人族の[[夸父]]だった。蚩尤は九黎の一族の長であったとも考えられている。の戦いは終わり、敗退した九黎族は逃れて[[三苗]]となった。『[[書経]]』の「呂刑」によると黄帝([[堯]]であるとも)は敵討ちを心配して苗民を皆殺しにしているが、この南方の民を根絶やしにできず、その後、[[三苗人]]は歴代の王を執拗に悩ます手強い敵となった<ref name="経">小林一郎 『経書大講』第5巻(『書経』呂刑) [[平凡社]] 1939年 316-322頁</ref><ref name="袁珂" />。
 
=== 苗祖としての蚩尤 ===
中華人民共和国の[[湘西トゥチャ族ミャオ族自治州]][[花垣県]]([[湖南省]])では2001年に「苗族始祖蚩尤像」という蚩尤の大立像が建造された<ref>楊志強 「“蚩尤平反”与“炎黄子孙” - 兼论近代以来中国国民整合的两条路线」(『中国農業大学学報(社会科学版)2010年 27巻4号)</ref>。また、[[彭水ミャオ族トゥチャ族自治県]]([[重慶市]])には、「蚩尤九黎城」という蚩尤を祭祀した施設があり、2014年には九黎神柱という高さ24メートルにもおよぶ石刻柱が建てられている。これらに代表されるような蚩尤関係の顕彰は同地における蚩尤に関する民間伝承されていた祭祀と、古代の伝説に登場する蚩尤・九黎・三苗の存在を根拠として20世紀以後に構築された「[[ミャオ族|苗族]]の始祖(苗祖)は蚩尤である」という説を色濃く土台としたものである<ref>段宝林 「蚩尤考」(『民族文学研究』 1998年第4期 10-17頁)</ref>。
 
== 脚注 ==
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*[[神農]]
*[[黄帝]]
 
*[[ミャオ族]]
 
{{中国神話}}