「ヴィクトル・スタルヒン」の版間の差分

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日米野球の17戦に初登板し、3番手として1イニングを無安打無失点に抑える。しかし試合はすでに趨勢が決まっていて、スタルヒンの制球の悪さに、米国チームが逃げ腰であった結果だった<ref>日本プロ野球偉人伝vol1 スタルヒン ベースボールマガジン社 2013年10月</ref>。
 
1934年[[11月29日]]、[[埼玉県営大宮公園野球場]]で開催された同第17戦の8回から敗戦処理で2イニングを投げ、これがプロ野球選手としてのデビューとなった。[[1935年]]2月からのアメリカ遠征に参加するが、無国籍だったため[[査証|ビザ]]が下りずにアメリカに入国できず、[[フランク・オドール]]らが奔走してようやくアメリカ入国が可能となった。また、物心ついた時から日本で育っの小学校に通学していた田舎者の少年であったスタルヒンは、[[水原茂]]と同部屋になった際、「先輩、アメリカって外国人ばかりですね」「外国人って全然、日本語喋らないんですね」と感想を漏らし、水原を呆れさせたという<ref name="Starffin"/>。
 
=== プロ入り後 ===