「紀伊国造」の版間の差分

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'''紀伊国造'''(きのくにのみやつこ、きいこくそう)は、[[紀伊国]](現在の[[和歌山県]])を[[古代]]に支配した[[豪族]]、紀氏の長の流れをくむ氏で、古代には代々紀伊国の[[国造|国造職]]とともに[[日前神宮・國懸神宮]]の[[祭祀]]を受け継ぎ、[[律令制]]施行により国造制が廃された後も同神宮の[[宮司]]として「国造」を称した。
 
 
__TOC__
{{-}}
== 概要 ==
[[古代]]から[[紀伊国]]に威武をふるっていた紀氏に始まるとされ、『[[紀伊続風土記]]』によると、[[神武天皇]]の[[畿内]]平定ののちに紀伊の[[国造]]に封じられた[[天道根命]](あめのみちねのみこと)の[[嫡流]]であるとされる。[[神話]]の時代を含めると2,000年以上もの長い歳月を経た今もなお日前国懸の神に仕えている。これほどの古い家系を今に伝えているのは、{{要出典範囲|date=2017年4月|[[皇室|天皇家]]を除くと、[[出雲国造]]家の千家・北島の両家、[[阿蘇神社]]の大[[宮司]]である[[阿蘇氏|阿蘇家]]、[[宇佐神宮]]の大宮司である[[宇佐氏|宮成・到津]]の両家、隠岐国造家であった[[億岐氏|億岐家]]、[[籠神社]]の宮司である[[海部氏|海部家]]、[[熱田神宮]]の大宮司である[[尾張氏|千秋家]]、[[住吉大社]]の宮司である[[津守氏|津守家]]、[[諏訪大社]]の大祝である[[諏訪氏|諏訪家]](神氏)ぐらいともいわれ}}、特に出雲国造とともにその就任には[[朝廷]]からの認可が必要とされていた<ref>『[[貞観儀式]]』巻第10「太政官曹司庁任紀伊国造儀」条。</ref>。なお、継嗣断絶のために2度ほど[[女系]]に替わっている。
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== 外部リンク ==
* [http://www10.ocn.nehinokuma-jingu.jp/~hinokumacom/ 日前神宮・國懸神宮 公式サイト] {{ja icon}}{{リンク切れ|date=2017年4月}}
 
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{{Japanese-history-stub}}
{{DEFAULTSORT:きのくにのみやつこ}}
[[Category:紀氏 (神別)]]
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[[Category:紀伊国]]
[[Category:国造]]
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{{Japanese-history-stub}}