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「残留ロシア人 (南樺太)」の版間の差分
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15行目:
[[第二次世界大戦]]後半になって戦況が悪化すると、南樺太に定住していたロシア人の多くは日本政府から敵性外国人として監視・拘留の対象となった。
[[1945年]]8月の[[ソ連対日参戦]]とともに[[赤軍]]が
南
樺太に侵攻した
ことで
際
、
彼らの生活も大きな転機を迎えた。
彼らの多くは(共産化により)これまでの財産を失い、中には政治犯として処分される者もいたが、一方で日本本土に移住・亡命する者もいた。
南樺太に住んでいたロシア人は
やがて
、
ロシア本土から移住してきた新住民と同化し事実上消滅した。
== 出自 ==