「石井茂成」の版間の差分

タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
[[諱]]は当初は「 '''成元 '''」(なりもと)で、後に鍋島勝茂より偏諱を授けられ、「 '''茂成 '''」と改める。
 
父や兄たちと共に、[[龍造寺隆信]]・[[龍造寺政家|政家]]父子に仕えた。[[天正]]12年([[1584年]])の[[沖田畷の戦い]]の後、伯父である鍋島直茂・勝茂父子を支えた。
 
[[文禄・慶長の役]]では、鍋島父子に従い、一隊の将として、[[朝鮮半島]]に遠征する。
 
帰国後、伯母である陽泰院の威光もあり、藩の中枢に抜擢され、家禄1,250石を拝領し、家老に就任。そして、一族の[[石井重次茂知|石井孫左衛門尉重次茂知]]らと共に、[[蓮池城 (肥前国)|蓮池城]]の城将となる。
 
藩財政の窮乏を憂い、苦心して財政再建5ヵ年計画私案を書き上げ、藩主勝茂に上程するも、財政再建には失敗している。
796

回編集