「鉄仮面」の版間の差分

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囚人は[[1669年]]に、[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の大臣から[[ピネローロ]]監獄の監獄長サン・マールに預けられ、監獄長自ら世話をしたという。以降、サン・マールの転任と共にその囚人も移送され、[[レランス諸島|サント=マルグリット島]]を経て、[[1698年]]にバスティーユ牢獄に移送された。当時のバスティーユ牢獄の看守は、「囚人は常にマスクで顔を覆われ、副監獄長直々に丁重に扱われていた」と記録している。
 
なお、鉄製の仮面を常に着用していると言うイメージになってしまったが、実際には布製のマスクだったといわれ、それも人と面会する時にだけ着用させられていた。もし人前でマスクを取ろうとすれば、その場で殺害せよとの指示が出されていた。そのため、牢獄で世話をしていた者も囚人の顔を知らなかった。
 
囚人は1703年11月19日に死亡。「マルショワリー」という偽名で葬られ、彼の所有物などは全て破棄されたという。