「早川雪洲」の版間の差分

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その後、日米を往復しながら映画やテレビドラマなど多くの作品に出演、1959年には自伝『[[武者修行世界を行く]]』を出版し、その記念パーティーには日本を代表する多くの文化人や著名人が名を連ねた。1960年には英語の著作『ゼン・ショード・ミー・ザ・ウェイ』(Zen showed me the way)を出版し、ハリウッド映画『[[戦場よ永遠に]]』(Hello to eternity)に出演。この作品ではかつての人気女優だった妻鶴子にも声がかかり、夫婦での共演となった。しかし、長年の苦労が鶴子の体を蝕んでおり、[[1961年]](昭和36年)[[10月18日]]死去、享年73。
 
鶴子を失った雪洲は大きな喪失感に襲われるが、なんとか俳優業を続け、[[1964年]](昭和39年)に38歳年下の[[吾妻秀穂]]と再婚する。80歳を過ぎても仕事を続けた雪洲だったが、[[1968年]](昭和43年)の日本映画『[[神々の深き欲望]]』の降板を最後に俳優業を引退し、[[1973年]][[11月23日]]に入院先の[[杏雲堂病院]]で[[急性肺炎]]のため逝去した。<ref>中川、p348 </ref>享年88(満87歳没)。マスコミは『国際派俳優早川雪洲死去』とその死を悼み、ハリウッドでは[[ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]]にその名前「Sessue Hayakawa」を刻んで永遠の記念とした。
 
== 主な出演映画 ==