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'''諸陵寮'''(
== 律令制での職掌・沿革 ==
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==明治政府==
明治政府では、[[1869年]]([[明治2年]]9月17日)公布において諸陵寮は再興されて、[[神祇官]]の配属とし、頭、助、允、属等の官員を置いたが、このとき諸陵頭は[[宮内大丞]]の[[戸田忠至]]が兼任した。<ref name=ishinshi-5-478>{{cite book|author=文部省維新史料編纂事務局|title=維新史|volume=5|year=1941|location=第4章祭政一致|pages=478-|url={{NDLDC|1242382/260}}|id={{近代デジタルライブラリー|1242382}}}}</ref><ref name="toike">{{cite book|和書|last=外池|first=
[[1871年]](明治4年8月4日)、諸陵寮は[[神祇省]]に統廃合されたが、神祇省を廃止分割して1872年(明治5年3月14日)に新設した[[教部省]]に諸陵課が置かれた<ref name=ishinshi-5-478/>。教部省は、1874年(明治7年8月3日)に諸陵掛を設置<ref name=toike/>。のちに事務が[[宮内省]]に移管され、[[1878年]](明治11年3月1日)に宮内省御陵墓掛が置かれ<ref name=toike/>、[[1883年]](明治16 年 1月19日)に御陵墓課に改められ、ついに[[1886年]](明治19年2月4日)諸陵寮が復興した<ref name=toike/><ref name=ishinshi-5-478/>。
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