「ロータス・72」の版間の差分

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出走回数 = 75 |
優勝回数 = 20 |
表彰台回数 = 39 |
コンストラクターズタイトル = '''3''' <small>({{F1|1970}}, {{F1|1972}}, {{F1|1973}})</small> |
ドライバーズタイトル = '''2''' <small>([[ヨッヘン・リント|リント]]:{{f1|1970}}, [[エマーソン・フィッティパルディ|フィッティパルディ]]:{{F1|1972}})</small> |
ポールポジション = 17 |
ファステストラップ = 10{{Citation needed|date=March 2010}}9 |
}}
'''ロータス・72''' (Lotus 72) とは、[[チーム・ロータス]]の[[コーリン・チャップマン]]と[[モーリス・フィリップ]]がデザインした[[フォーミュラ1カー]]である。
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=== 72D ===
[[ファイル:Emerson_Fittipaldi_1972_Austrian_GP.jpg|rightleft|thumb|250px|フィッティパルディが乗るJPSカラー時代のロータス72E(197372D(1972年オーストリアGP)]]
[[1971年]]には、[[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]]のデザイナーだった[[トニー・ラッド]]によりリア・サスペンションやリア・ウィングのデザインが手直しされ「72D」となったが、このシーズンは振るわなかった。しかし翌1972年にはフィッティパルディが「72D」で5勝を挙げ、F1史上最年少のチャンピオンとなった(それまでの記録は[[ジム・クラーク (レーサー)|ジム・クラーク]])。なお、この1972年のシーズンから、ロータスのスポンサーであるインペリアル・タバコ社が、ロータスのカラーリングを、それまでの赤・白・金のゴールド・リーフ・カラーから、黒地に金色のストライプの[[JPS (たばこ)|JPS]]カラーに変更した。
 
{{-}}
=== 72E ===
{{Listen
[[ファイル:Emerson_Fittipaldi_1972_Austrian_GP.jpg|right|thumb|250px|フィッティパルディが乗るJPSカラー時代のロータス72E(1973年オーストリアGP)]]
|filename =Lotus-Cosworth 72E (1973).ogg
1973年のシーズンには安全性向上のためルールが改善され、新ルールが施行されるスペインGPから「72E」が投入された。この年、ロータスに加入したロニー・ピーターソンはロータス72とウマが合い、この年4勝したのに対し(年間通算成績3位)、フィッティパルディは3勝(年間通算成績2位)だった。そのため、この年のコンストラクターズ・チャンピオンはロータスが取ったが、トライバーズ・チャンピオンは[[ティレル]]の[[ジャッキー・スチュワート]]が獲得。フィッティパルディは翌1974年のシーズンには[[マクラーレン]]に移籍した。
|title =Lotus-Cosworth 72E
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1973年のシーズンには安全性向上のためルールが改善され、新ルールが施行されるスペインGPから「72E」が投入された。この年、ロータスに加入したロニー・ピーターソンはロータス72とウマが合い、この年4勝したのに対し(年間通算成績3位)、フィッティパルディは3勝(年間通算成績2位)だった。そのため、この年のコンストラクターズ・チャンピオンはロータスが取ったが、ライバーズ・チャンピオンは[[ティレル]]の[[ジャッキー・スチュワート]]が獲得。フィッティパルディは翌1974年のシーズンには[[マクラーレン]]に移籍した。
 
=== 72F ===