「関銀屏」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
20行目:
[[219年|建安24年]]、15歳程に成長した関銀屏は一層美しく、色白で賢明な淑女に育ち、多芸に通じ、関羽の娘の評判に縁談が絶えることはなかったという。
そんな中、孫権にも関羽の娘の評判は聴こえ、孫権から「貴殿の年頃の愛娘(関銀屏)を、是非、我が長男の[[孫登]](当時11歳程)の嫁に欲しい」という手紙が届いたとき、関羽は「[[ムジナ|狢]]の仔め、高望みが過ぎるわ(虎の娘を犬の仔にはやらん)」と使者を一喝し、面目を潰された孫権から関羽は恨みを買った
建安24年12月、孫権が関羽を攻めた。関羽の荊州が陥落しそうになった。
|