「レビラト婚」の版間の差分

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*[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の最初の王妃[[キャサリン・オブ・アラゴン]]は、ヘンリーの兄[[アーサー・テューダー|アーサー]]と死別後にヘンリーと再婚した。この結婚は本来[[カトリック教会|カトリック]]の[[教会法]]に反するものであり、それを理由とすることで離婚([[婚姻の無効]])も可能となるはずだったが、政治上の理由から時の[[教皇]]がそれを認めず、[[イングランド国教会]]の成立のきっかけとなった。
*[[ポーランド王国|ポーランド]]王[[ヴワディスワフ4世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ4世]]の2番目の王妃[[ルドヴィーカ・マリア・ゴンザーガ]]は、ヴワディスワフの死後にその異母弟[[ヤン2世 (ポーランド王)|ヤン2世]]が王位を継承するに際し、ヤンと再婚して2代の王の妃となった。
*[[唐]]の太宗[[太宗 (唐)|李世民]]は[[玄武門の変]]で同母弟の斉王[[李元吉]]を殺害した後に、その妻の楊氏を自分の妻に迎えた。
*[[金 (王朝)|金]]の太祖[[阿骨打]]の次男[[繩果]]の妃蒲察氏は、繩果の死後にその異母兄[[斡本]]と再婚した。斡本は繩果と蒲察氏の子である[[熙宗 (金)|熙宗]]の養父となり、その即位に貢献した。
*[[清]]の世祖[[順治帝]]の生母[[孝荘文皇后]]は、太宗[[ホンタイジ]]の側室の一人であったが、太宗の死後に世祖の摂政となった太宗の異母弟[[ドルゴン]]と再婚したという説がある。レビラト婚は[[満州民族|満州族]]([[女真]])の古来の風習では普通に行われていたが(上述した金の皇族はその一例)、[[儒教]]では不義にあたるとされ、実際にこの結婚が行われたか否かについては議論が分かれている。