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'''浅野 長直'''('''あさの ながなお'''、[[慶長]]15年([[1610年]]) - [[寛文11年]][[7月24日 (旧暦)|7月24日]]([[1671年]][[8月28日]]))は[[江戸時代]]前期の[[外様大名]]。[[浅野家]]では初代の[[赤穂藩]]主。5万3000石。[[赤穂藩]]の基礎を築いた名君として知られるが、どちらかというと[[元禄赤穂事件]]の[[浅野長矩]]の祖父としての方が有名。
 
[[慶長]]15年([[1610年]])、[[真岡藩]]主(のちに[[笠間藩]]主)である[[浅野長重]]([[浅野長政]]三男。広島[[浅野家]]の傍流の一つ)の長男として生まれた。母は[[三河吉田藩]]主[[松平家清]]の娘。幼名は又一郎。
 
[[寛永]]8年([[1631年]])12月3日、従五位下[[内匠頭]]に叙任した。9年([[1632年]])10月29日、父の後をついで[[笠間藩]]主となる。11年(1634年)には幕府より[[駿府城]]城代に任じられ、13年([[1636年]])には[[江戸城]]西の丸の普請を手伝い、さらに[[大阪城]]の加番を命じられた。この在番中、[[赤穂藩]]主の[[池田輝興]]が発狂して正室の[[黒田長政]]の娘を殺害する事件が起こり池田家は改易となった。幕命により城受け取りに赤穂へ赴いた浅野長直はそのまま[[赤穂藩]]主となり、以降、孫の長矩の代に改易されるまで浅野家が赤穂藩主をつとめることになった。
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