「イザベラ・オブ・ヴァロワ」の版間の差分

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[[ファイル:Isabela richard2.jpg|thumb|リチャード2世とイザベラの結婚]]
'''イザベラ・オブ・ヴァロワ'''(Isabella of Valois, [[1389年]][[11月9日]] - [[1409年]][[9月13日]])は、[[イングランド王国|イングランド]]王[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]の2番目の王妃。[[フランス王国|フランス]]王[[シャルル6世 (フランス王)|シャルル6世]]と王妃[[イザボー・ド・バヴィエール]]の長女、フランス名は'''イザベル・ド・ヴァロワ'''(Isabelle de Valois)または'''イザベル・ド・フランス'''(Isabelle de France)。[[ブルターニュ公国|ブルターニュ]][[ブルターニュ君主一覧|公]][[ジャン5世 (ブルターニュ公)|ジャン5世]]妃[[ジャンヌ・ド・フランス (1391-1433)|ジャンヌ]]、[[ブルゴーニュ公国|ブルゴーニュ]][[ブルゴーニュ公一覧|公]][[フィリップ3世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ3世]]妃[[ミシェル・ド・フランス|ミシェル]]、ギュイエンヌ公[[ルイ・ド・ギュイエンヌ|ルイ]]、トゥーレーヌ公[[ジャン・ド・ヴァロワ (トゥーレーヌ公)|ジャン]]、イングランド王[[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]妃[[キャサリン・オブ・ヴァロワ|カトリーヌ]]、フランス王[[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]の姉。フランス名は'''イザベル・ド・ヴァロワ'''(Isabelle de Valois)または'''イザベル・ド・フランス'''(Isabelle de France)
 
[[1397年]]、[[百年戦争]]でフランスとイングランドの休戦を結ぶ条件として、7歳のイザベラがリチャード2世の2番目の王妃となる。しかし[[1399年]]夫の従弟ヘンリー・ボリンルック(のちの[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]])がリチャード2世を[[ロンドン塔]]に[[幽閉]]させると、彼女イザベラもまた[[ロンドン]]北西のソニングに幽閉され、夫に会うことを禁じられ、翌[[1400]]の夫の死すらも知らされなかった<ref name="森">森、P30。</ref><ref>城戸、P63、P81、ロイル、P69 - P70。</ref>
 
[[1401年]]ヘンリー4世からフランスへ帰国を許されるが、当時は未亡人が故国へ戻る際に返還されるものであった持参金は返還されなかった<ref name="森">森、P30。</ref><ref>ロイル、P99 - P100。</ref>
 
[[1406年]]、従弟である[[オルレアン公]][[シャルル・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|オルレアン公シャルル]](フランス王[[ルイ12世 (フランス王)|ルイ12世]]の父)と再婚したが、1409年に一女ジャンヌ{{enlink|Jeanne of Valois (1409-1432)|a=on}}を出産した際に死亡した<ref name="森">森、P30。</ref><ref>城戸、P96、ロイル、P108。</ref>。ジャンヌはアランソン公[[ジャン2世 (アランソン公)|ジャン2世]]と結婚している。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 参考文献 ==
* [[森護]]『英国王室史事典』[[大修館書店]]、1994年。
* [[城戸毅]]『百年戦争―<small>中世末期の英仏関係</small>―』[[刀水書房]]、2010年。
* [[トレヴァー・ロイル]]著、[[陶山昇平]]訳『薔薇戦争新史』[[彩流社]]、2014年。
 
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