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幕府により大名の大幅な配置換えが実施された江戸時代は、同時に日本中で活発な文化交流が行われた時代でもあった。例えば、三河の[[水野氏]]が備後福山に立藩したため三河の言語が備後地域に流入し、福山地方の方言に三河方言が混ざっている。また、信濃を統治していた[[仙石氏]]が但馬出石に転封した際、信濃の[[蕎麦]]を出石に持ち込んだため、[[出石そば]]が発祥した。このような物の交流は各地で起こっているが、これが現在の名産物になっている地域も多い。
 
=== 財政 ===
[[ファイル:Gold oban 050918 163354.jpg|110px|right|thumb|万延大判]]
徳川家康は武士の支配構造の基本として、士分の収入を[[米]]に依存していた。そのため、幕府の経済政策の主力は米相場を安定させる事が中心になった。しかしながら、収入を増やすために米の生産量を増やすと米価が下がると言う様になかなか思うようにはいかず、また武士階級を困窮させることになり、幾度も[[倹約令]]や[[徳政令]]が出されることになる。こうした要因によって商人たちが経済の主導権を握るようになった。
 
18世紀に入ると日本は飢饉が頻発するようになり、[[天保の大飢饉]]になると藩によっては収穫ゼロ([[津軽藩]]など)の所も出てくるようになる。これを見て[[田沼意次]]は[[重商主義]]政策を取り入れようとしたが、反対勢力によって失敗に終わっている。幕府は17世紀末の元禄年間以降、貨幣の中に含まれる金を減らし、貨幣の発行量を多くすることによって貨幣発行益を上げて財政を持ち直そうとしたが、いずれも過度の[[インフレーション]]を招き、失敗に終わっている([[徳川綱吉]]の[[元禄小判|元禄改鋳]]、[[徳川吉宗]]の[[元文小判|元文改鋳]]、[[徳川家斉]]の頃の[[南鐐二朱銀]]の発行など)。その中でも[[荻原重秀]]の[[貨幣改鋳]]は緩やかなインフレをもたらし元禄文化が花開くなど適切な面もあったと評価されている。
 
=== 朝廷関係 ===
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; 商人
: 江戸商人、上方商人(大坂商人・[[近江商人]])、[[伊勢商人]]
 
; 貨幣
===通貨政策===
: 江戸幕府は、大量に蓄積された金銀を原資に貨幣制度の改革を行った。幕府創立前の[[1601年]](慶長6年)に[[金座]](小判座)および[[銀座 (歴史)|銀座]]を設立し、[[慶長小判|慶長金]][[慶長丁銀|銀]]の鋳造を命じた。慶長から[[寛永]]期頃までは各地の[[金鉱山|金山]]および[[銀山]]の産出が世界有数を誇る規模であり、5代将軍[[徳川綱吉]]の頃までは江戸城御金蔵の金銀の蓄えも潤沢であった。そして輸入品であった[[永楽銭]]などに代わり[[1636年]](寛永13年)、[[銭座]]を設けて[[寛永通宝]]などの国内貨幣を鋳造し、流通させた。
{{see also|江戸時代の制度}}
: 江戸幕府は、大量に蓄積された金銀を原資に貨幣制度の改革を行った。幕府創立前の[[1601年]](慶長6年)に[[金座]](小判座)および[[銀座 (歴史)|銀座]]を設立し、[[慶長小判|慶長金]][[慶長丁銀|銀]]の鋳造を命じた。慶長から[[寛永]]期頃までは各地の[[金鉱山|金山]]および[[銀山]]の産出が世界有数を誇る規模であり、5代将軍[[徳川綱吉]]の頃までは江戸城御金蔵の金銀の蓄えも潤沢であった。そして輸入品であった[[永楽銭]]などに代わり[[1636年]](寛永13年)、[[銭座]]を設けて[[寛永通宝]]などの国内貨幣を鋳造し、流通させた。
 
[[ファイル:Keicho-koban2.jpg|thumb|left|80px|慶長小判]]
: しかしながら、高額貨幣は、[[東日本]]は[[金貨]]([[小判]])が、[[西日本]]は[[銀貨]]([[丁銀]])が流通の基本となっており、その[[相場]]も日々変動したため、[[両替商]]などの[[金融業]]が発達した。また大量の貨幣を運ぶのを避けるため、[[手形]]取引も発達した。また、[[1620年]]([[元和 (日本)|元和]]6年)頃から世界に先駆けて[[大坂]](大阪)の[[堂島]]において[[先物取引]]が行われていた。
: 経済が発展するとともに大量の物資輸送の必要が出たので、[[弁才船]]による日本沿海を周回する物資流通が大きく発達した。
 
[[ファイル:Ko-kaneitsuho.jpg|thumb|right|80px|寛永通寳]]
: また寛永期を過ぎると、金銀の産出に陰りが見え始めたのに対し、[[人口]]が次第に増加し経済が発展して幕府の支出が増大したため財政難に陥るようになり、金銀の備蓄も底が見え始め、[[1695年]](元禄8年)の[[元禄小判|元禄金]][[元禄丁銀|銀]]の発行を発端に、出目獲得および通貨拡大のため品位を低下させる改鋳が行われるようになる。
{{江戸時代の貨幣}}
 
[[1772年]](安永元年)の南鐐二朱銀発行以降、次第に[[両]]を基軸とする、分、朱の単位を持つ計数銀貨が増加し始め、[[1837年]](天保8年)の[[一分銀]]発行に至って、丁銀のような[[秤量銀貨]]を凌駕するようになり、銀貨は小判の通貨体系に組み込まれることになった。
 
幕府は元禄期以降、金銀貨の比率を変更する[[貨幣改鋳]]をたびたびおこなっている{{sfn|大塚英樹|1999|p=74}}。これは幕府の財政を改善させることを主目的とする政策であり、米価を調整することや、貨幣の中に含まれる金を減らし、貨幣の発行量を多くすることによって貨幣発行益を上げることで財政改善を行おうというものであったが、一方でこの政策には市場の通貨量を増加させる目的や、金銀相場の内外調整という目的もあった{{sfn|大塚英樹|1999|p=73}}。[[徳川綱吉]]時代の[[元禄小判|元禄改鋳]]は[[リフレーション|リフレ]]効果をもたらして景気を改善したが{{sfn|大塚英樹|1999|p=83}}、[[宝永の改鋳]]では米価が83パーセントも上昇するなど急激なインフレを招いた{{sfn|大塚英樹|1999|p=84-85}}。[[新井白石]]主導による正徳の改鋳は通貨流通量が減少してデフレを招いた{{sfn|大塚英樹|1999|p=86}}。この後[[徳川吉宗]]によって行われた[[元文小判|元文改鋳]]は、デフレ対策を目的として行われ、米価を80年間にわたって安定させることとなった{{sfn|大塚英樹|1999|p=87}}。[[徳川家斉]]時代には幕府財政が困窮したために大規模な改鋳が行われ、貨幣の流通量が40%増大した{{sfn|大塚英樹|1999|p=87-88}}。またこの文政改鋳と、[[水野忠邦]]主導による天保の改鋳は、金銀貨を額面通り交換したため、幕府は大きな収益を得ることになった。この結果、幕府の貨幣支出が増大し、元文期よりはゆるやかであるが、経済に刺激を与えるインフレーションをもたらしたと評価する説([[新保博]])もある{{sfn|大塚英樹|1999|p=89}}。開国後には内外の金銀価格差を調整するために安政・万延の改鋳が行われたが、これはさらに名目的な貨幣流通量増大をもたらし、経済は劇的なインフレーションに見舞われることとなった{{sfn|大塚英樹|1999|p=91}}。
{{江戸時代の貨幣}}
 
=== 財政 ===
[[ファイル:Gold oban 050918 163354.jpg|110px|right|thumb|万延大判]]
徳川家康は武士の支配構造の基本として、士分の収入を[[米]]に依存していた。そのため、幕府の経済政策の主力は米相場を安定させる事が中心になった。しかしながら、収入を増やすために米の生産量を増やすと米価が下がると言う様になかなか思うようにはいかず、また武士階級を困窮させることになり、幾度も[[倹約令]]や[[徳政令]]が出されることになる。こうした要因によって商人たちが経済の主導権を握るようになった。
 
18世紀に入ると日本は飢饉が頻発するようになり、[[天保の大飢饉]]になると藩によっては収穫ゼロ([[津軽藩]]など)の所も出てくるようになる。これを見て[[田沼意次]]は[[重商主義]]政策を取り入れようとしたが、反対勢力によって失敗に終わっている。幕府は17世紀末の元禄年間以降、貨幣の中に含れる金た財政減らし、貨幣の発行量を多くす改善させることによって貨幣発行益上げて財政を持ち直そう主目的したが、いずれも過度の[[インフレーション]]を招き、失敗に終わってい([[徳川綱吉]]の[[元禄小判|元禄改鋳]][[徳川吉宗]]の[[元文小判|元文改鋳]]、[[徳川家斉]]の頃の[[南鐐二朱銀]]の発行など)。その中でも[[荻原重秀]]の[[貨幣改鋳]]は緩やかなインフレらし元禄文化が花開くびたびおこど適切な面もあたと評価されている{{sfn|大塚英樹|1999|p=74}}
 
=== 貿易 ===
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* [[源了圓]]「『海国図志』の日中韓の読み方の違い」『地球日本史3 江戸時代が可能にした明治維新』産経新聞ニュースサービス、1999.4、ISBN 4-594-02665-6
* [[林玲子]]・[[大石慎三郎]]『新書・江戸時代5 流通列島の誕生』講談社<[[講談社現代新書]]>、1995.11、ISBN 4-06-149261-6
*{{Cite journal |和書|author =大塚英樹 |authorlink = |url=https://www.imes.boj.or.jp/research/abstracts/japanese/kk18-4-2.html|title =江戸時代における改鋳の歴史とその評価 |date =1999 |publisher =[[日本銀行金融研究所]] |journal =金融研究 |volume = 18|issue = 4|naid = |pages = |ref = harv}}
 
== 関連項目 ==
* [[大坂の陣]]、[[参勤交代]]、[[武家諸法度]]、[[武断政治]]、[[島原の乱]]、[[鎖国]]