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'''DXシリーズ'''(ディーエックス・シリーズ)は[[ヤマハ]]の[[FM音源]]を採用しから発売されていた'''[[シンセサイザー]]'''の型番・商品名。
 
デスクトップ・シンセサイザーと名付けられたDX200を除いて、[[キーボード (楽器)|キーボード]]タイプである。DXシリーズの[[音源モジュール|モジュール]]は[[ヤマハ・TXシリーズ|TXシリーズ]]である。
この他、DXシリーズの音源を用いた[[19インチラック|ラック]]マウントタイプの[[音源モジュール]として、[[ヤマハ・TXシリーズ|TXシリーズ]]が存在する。
[[ファイル:YAMAHA_DX7.jpg|thumb|350px|YAMAHA DX7]]
 
== 概要 ==
同シリーズは[[FM音源]]が採用されたデジタルシンセサイザーであり、FM音源の特徴である非整数次倍音を活用することにより、きらびやかな音色や金属的な音色、打楽器系の音色など旧来の[[アナログシンセサイザー|アナログ音源]]が苦手とした音色を出せることが特徴であり魅力でもあった。さらにフルデジタル構成の利点として作成した音色データの保存・再現が簡単に可能」「いち早く[[MIDI]]端子を装備し容易に他のデジタル楽器と組み合わせることが可能とアナログシンセサイザーからは革命的な進化を遂げ、[[1980年代]]中頃の音楽シーンをリードした。特にきらびやかで新鮮な[[エレクトリックピアノ]]のサウンドは、[[ローズ・ピアノ]]を完全に駆逐してしまった。<!--DX7がローズに置き換わったのは音色というより、運搬のし易さの要素が大きい-->
 
特にきらびやかで新鮮な[[エレクトリックピアノ]]のサウンドは、それまでの主流であった[[ローズ・ピアノ]]に対して小型であることも含め、そのシェアを奪うまでのものとなった。また、デジタルならではの硬質なベース・サウンドも一世を風靡して、[[1990年代]]の[[ハウス・ミュージック]]ではDXシリーズの<ピックベース>のパッチが定番音色として用いられた。
 
==歴史==
FM音源方式はアメリカのスタンフォード大学で開発されたもので、これにいち早く目をつけたヤマハ1973年にライセンスに関して独占契約したを結ぶ。試作モデルでは基板のサイズや機能面が障害となったが1980年代の半導体技術の進歩により解決できた。1981年には音色がプリセットされた4オペレータの音源がGS1という高価な機種などに採用され、エディットが可能なDXシリーズへ続く。
 
DXシリーズのプロトタイプは「PAMS」という試作機で、<ref>"Programmable Algorithm Music Synthesizer"頭文字略称であると同時に、利用可能な合成方式ほか、Phase Modulation、Amplitude Modulation、Additive Synthesis、Frequency Modulationといった利用可能な合成方式の頭文字から取られている。</ref>」という試作機もあった。、多数のスライダーやダイ多数並ぶパネルと膨大なパラメータによって音色操作の自由度をもつ高める設計であったが、商品化のために整理簡略化が求められ、変調を[[正弦波]]のみに限定したり、32種のアルゴリズムなどが採用されたりした。仕様が固まる各モデル開発がおこ、正式商品化のために整理簡略化が行われている。初期DXシリーズ(DX7、DX9、DX1、DX5)が発表された。これら試作モデルの開発コードはDX〇〇だったが、製品名にもこれ引き継いでがれている<ref>http://jp.yamaha.com/products/music-production/synthesizers/synth_40th/history/chapter02/ FM音源の登場と音楽制作時代の幕開け</ref>。
 
== DXシリーズの限界 ==
金属的なエレクトリックピアノのサウンドなどで1980年代のシンセサイザーサウンドを牽引したDXシリーズだが、音色作成の難度が高く、[[ピアノ|アコースティックピアノ]]のシミュレートが苦手という欠点があった。そのため、生楽器のサウンドを録音しておき再生する[[PCM音源]]を搭載したシンセサイザーの登場後、そのシェアは次第に縮小していった。
 
89年に登場した[[PCM音源]]と[[FM音源]]のハイブリッドである「[[RCM音源]]を搭載した[[ヤマハ・SYシリーズ|SY77]]により、ヤマハのシンセサイザーは[[ヤマハ・SYシリーズ|SYシリーズ]]に移行していった<ref name = "gakki">『楽器とコンピュータ』p.37 - p38</ref>。[[2001年]]には、LOOP FACTORYシリーズ中の一機種としてDX200が登場したが、従来のDXシリーズと異なり、キーボードの持たないモデルであった。
 
現在でも高品位な鍵盤を持つDXシリーズは、後年の音源モジュールにMIDI接続し、[[MIDIコントローラー#MIDIコントローラーの例|マスターキーボード]]として使用されることは珍しくなく、中古楽器店等でも鍵盤の状態が良いものには高値が付くこともある。また、1980年代的な音色が求められる場合に、DXシリーズの音源が用いられることもある。
 
== シリーズのモデル ==
; DX7
: [[1983年]]5月に発売。世界初のフルデジタルシンセサイザーとして登場した、シリーズの始祖的なモデルである。61鍵、6オペレータ32アルゴリズムのFM音源を採用。最大同時発音数は16音<ref name = "gakki" />と、当時の主流である6 - 8音程度のモデルと比較して飛躍的に増加した。
: 日本楽器製造(現・ヤマハ)が[[1983年]]5月に発売したDXシリーズ初のシンセサイザーでもあり世界初のフルデジタルシンセサイザーでもある。「歴史的」「世界的」に名機として1980年代当時の音楽シーンに一大シンセサイザーブームを巻き起こしたシンセサイザーで圧倒的にDX7と1986年に発売されたDX7ⅡFDの方が人気だった。61鍵、フルデジタルシンセサイザーで、6オペレータ32アルゴリズムのFM音源を採用していた。それまでの[[アナログシンセサイザー]]が苦手としていた[[ベル]]やエレクトリックピアノなどの金属的な音色を出すことができ、最大同時発音数も16音<ref name = "gakki" />と、当時としては桁違いに多かった(当時の主流は6 - 8音程度)。音源処理のデジタル化で完全に後れを取った他社は追いつくのに数年を要した。液晶ディスプレイを配置し、音色の名前を表示したり、エディット中のパラメータを指定し数値で確認したりという現在では当然のような機能を実現していた。使用鍵盤は、FS鍵盤と呼ばれる、プラスチックとバネと錘で構成されたセミウェイト鍵盤をシンセサイザーで初めて採用し、打健の強弱のつけやすさも追求された。このFS鍵盤は、後に[[ヤマハ・MOTIFシリーズ|MOTIF ES]]まで20年間採用され続けるロングセラーとなった。さらに、また規格が誕生して間もない[[MIDI]]に対応しており音源部を持たない軽量なショルダーキーボードの[[ヤマハ・KXシリーズ|KX1やKX5]]と繋げた使い方なども提示された。当時としては画期的な仕様でありながら、24万8千円<ref name = "gakki" />と低価格だったためアマチュアからプロシーンまで一躍ヒットモデルとなった<ref name = "gakki" />(ちなみに、当時プロシーンで使われていた代表的なキーボードで、[[ローランド]]のジュピター8は98万円、[[シーケンシャル・サーキット]]の[[シーケンシャル・サーキット プロフェット5|プロフェット5]]は170万円もした)。また、あまりの大ヒットモデルとなったことと、その後のユーザー要望(音色メモリー数を多くしてほしい、液晶表示部にバックライトをつけてほしい、イニシャルタッチの幅を128段階のフルスケールにしてほしい…等)が強かったことからサードパーティ製の改造用キットも数多く発売され、発売元であるヤマハからも[[MSX]]仕様のミュージックPCである[http://jp.yamaha.com/product_archive/music-production/cx5/ CX5]やPC画面上で音色がエディットできるヴォイシングプログラムROM(YRM-13)が発売されるなど周辺機器が数多く発売された。本モデルの成功は、同業の他社メーカーを刺激し、結果としてデジタルシンセサイザーを急激に一般化させた。このことは低価格帯の電子楽器が市場に多く発表されることにつながり、その後の日本のバンドブームの礎となったことを始め、MIDI接続による電子楽器の使い方やパソコンとの応用の一般化、さらには現在にも続く音楽制作のありかたへの重大なトピックであったことも功績に数えられる。また、内蔵メモリー以外にも専用ROMカートリッジをスロットに挿入することで外部からの音色の呼び出しが可能となっており、メーカー純正(発売元は財団法人ヤマハ音楽振興会)のVoice ROM(全12種類)や[[リットーミュージック]]等の音楽出版社から本機を使用するミュージシャン(例:[[坂本龍一]]・[[向谷実]])が音色の監修をしたROMが販売された。このような「音色が商品になり得る」という概念を作り上げたのも本機の功績のひとつである。なお、作成した音色データの保存には専用RAMカートリッジ(RAM1)を使用する。同カートリッジは、品番はRAMを銘打っているが、内蔵メモリはEEPROMとなっており(DX7本体に装着され電圧が[[印加]]されているときはRAMとして、そうでないときはROMとしてそれぞれ機能する)、後述のRAM4とは異なりデータの保持に電池を必要としない。RAM1又は専用ROMカートリッジ装着時の同時発音数は、2倍の32音となる。一方、パラメーターが膨大すぎて、ユーザーが自ら音色をエディットして満足のいく結果を得ることが困難だったことから、プリセット音色が使われることが多く、結果として似たような音色が氾濫し、音色の没個性化を招く結果にもなった。また、それまでのアナログ音源では出ない音色を作成することはできたが、逆にアナログ音源のような分厚い迫力のある音色は出にくかった。[[モーグ・シンセサイザー#ミニモーグ|ミニモーグ]]のようにリアルタイムにパラメーターをいじりながらの演奏は事実上不可能だった。ブレスコントローラーはあるにはあったがほとんど普及しなかった。ただしそれを補う優秀なタッチレスポンスによる音色変化を装備していた。さらにDX7のモジュール版であるTX7をMIDIで繋げるとDX1、DX5と同等なサウンドと機能などを実現できた。圧倒的にDX7とDX7ⅡFDの方が人気だった。
: 「歴史的」「世界的」な名機として、1980年代当時の音楽シーンに一大シンセサイザーブームを巻き起こしたシンセサイザーで、本体中央部には液晶ディスプレイを配置し、音色の名前表示やエディット中のパラメータを指定し数値で確認するといった、現在では当然のような機能を実現していた。鍵盤には“FS鍵盤”と呼ばれる、プラスチックとバネと錘で構成されたセミウェイト鍵盤をシンセサイザーで初めて採用し、打健の強弱のつけやすさも追求された。このFS鍵盤は、後に[[ヤマハ・MOTIFシリーズ|MOTIF ES]]まで20年間採用され続けるロングセラーとなった。
: さらに、また規格が誕生して間もない[[MIDI]]に対応し、音源部を持たない軽量なショルダーキーボードの[[ヤマハ・KXシリーズ|KX1やKX5]]と繋げた使い方なども提示された。当時としては画期的な仕様でありながら、24万8千円<ref name = "gakki" />と低価格だったためアマチュアからプロシーンまで一躍ヒットモデルとなった<ref name = "gakki" />(ちなみに、当時プロシーンで使われていた代表的なキーボードで、[[ローランド]]のジュピター8は98万円、[[シーケンシャル・サーキット]]の[[シーケンシャル・サーキット プロフェット5|プロフェット5]]は170万円もした)。また、あまりの大ヒットモデルとなったことと、その後のユーザー要望(音色メモリー数を多くしてほしい、液晶表示部にバックライトをつけてほしい、イニシャルタッチの幅を128段階のフルスケールにしてほしい…等)が強かったことからサードパーティ製の改造用キットも数多く発売され、発売元であるヤマハからも[[MSX]]仕様のミュージックPCである[http://jp.yamaha.com/product_archive/music-production/cx5/ CX5]やPC画面上で音色がエディットできるヴォイシングプログラムROM(YRM-13)が発売されるなど周辺機器が数多く発売された。
: 日本楽器製造(現・ヤマハ)が[[1983年]]5月に発売したDXシリーズ初のシンセサイザーでもあり世界初のフルデジタルシンセサイザーでもある。「歴史的」「世界的」に名機として1980年代当時の音楽シーンに一大シンセサイザーブームを巻き起こしたシンセサイザーで圧倒的にDX7と1986年に発売されたDX7ⅡFDの方が人気だった。61鍵、フルデジタルシンセサイザーで、6オペレータ32アルゴリズムのFM音源を採用していた。それまでの[[アナログシンセサイザー]]が苦手としていた[[ベル]]やエレクトリックピアノなどの金属的な音色を出すことができ、最大同時発音数も16音<ref name = "gakki" />と、当時としては桁違いに多かった(当時の主流は6 - 8音程度)。音源処理のデジタル化で完全に後れを取った他社は追いつくのに数年を要した。液晶ディスプレイを配置し、音色の名前を表示したり、エディット中のパラメータを指定し数値で確認したりという現在では当然のような機能を実現していた。使用鍵盤は、FS鍵盤と呼ばれる、プラスチックとバネと錘で構成されたセミウェイト鍵盤をシンセサイザーで初めて採用し、打健の強弱のつけやすさも追求された。このFS鍵盤は、後に[[ヤマハ・MOTIFシリーズ|MOTIF ES]]まで20年間採用され続けるロングセラーとなった。さらに、また規格が誕生して間もない[[MIDI]]に対応しており音源部を持たない軽量なショルダーキーボードの[[ヤマハ・KXシリーズ|KX1やKX5]]と繋げた使い方なども提示された。当時としては画期的な仕様でありながら、24万8千円<ref name = "gakki" />と低価格だったためアマチュアからプロシーンまで一躍ヒットモデルとなった<ref name = "gakki" />(ちなみに、当時プロシーンで使われていた代表的なキーボードで、[[ローランド]]のジュピター8は98万円、[[シーケンシャル・サーキット]]の[[シーケンシャル・サーキット プロフェット5|プロフェット5]]は170万円もした)。また、あまりの大ヒットモデルとなったことと、その後のユーザー要望(音色メモリー数を多くしてほしい、液晶表示部にバックライトをつけてほしい、イニシャルタッチの幅を128段階のフルスケールにしてほしい…等)が強かったことからサードパーティ製の改造用キットも数多く発売され、発売元であるヤマハからも[[MSX]]仕様のミュージックPCである[http://jp.yamaha.com/product_archive/music-production/cx5/ CX5]やPC画面上で音色がエディットできるヴォイシングプログラムROM(YRM-13)が発売されるなど周辺機器が数多く発売された。本モデルの成功は、同業の他社メーカーを刺激し、結果としてデジタルシンセサイザーを急激に一般化させた。このことは低価格帯の電子楽器が市場に多く発表されることにつながり、その後の日本のバンドブームの礎となったことを始め、MIDI接続による電子楽器の使い方やパソコンとの応用の一般化、さらには現在にも続く音楽制作のありかたへの重大なトピックであったことも功績に数えられる。また、内蔵メモリー以外にも専用ROMカートリッジをスロットに挿入することで外部からの音色の呼び出しが可能となっており、メーカー純正(発売元は財団法人ヤマハ音楽振興会)のVoice ROM(全12種類)や[[リットーミュージック]]等の音楽出版社から本機を使用するミュージシャン(例:[[坂本龍一]]・[[向谷実]])が音色の監修をしたROMが販売された。このような「音色が商品になり得る」という概念を作り上げたのも本機の功績のひとつである。なお、作成した音色データの保存には専用RAMカートリッジ(RAM1)を使用する。同カートリッジは、品番はRAMを銘打っているが、内蔵メモリはEEPROMとなっており(DX7本体に装着され電圧が[[印加]]されているときはRAMとして、そうでないときはROMとしてそれぞれ機能する)、後述のRAM4とは異なりデータの保持に電池を必要としない。RAM1又は専用ROMカートリッジ装着時の同時発音数は、2倍の32音となる。一方、パラメーターが膨大すぎて、ユーザーが自ら音色をエディットして満足のいく結果を得ることが困難だったことから、プリセット音色が使われることが多く、結果として似たような音色が氾濫し、音色の没個性化を招く結果にもなった。また、それまでのアナログ音源では出ない音色を作成することはできたが、逆にアナログ音源のような分厚い迫力のある音色は出にくかった。[[モーグ・シンセサイザー#ミニモーグ|ミニモーグ]]のようにリアルタイムにパラメーターをいじりながらの演奏は事実上不可能だった。ブレスコントローラーはあるにはあったがほとんど普及しなかった。ただしそれを補う優秀なタッチレスポンスによる音色変化を装備していた。さらにDX7のモジュール版であるTX7をMIDIで繋げるとDX1、DX5と同等なサウンドと機能などを実現できた。圧倒的にDX7とDX7ⅡFDの方が人気だった。
; DX9
: [[1983年]]5月発売。同時発売されたDX7の[[廉価版]]。DX7と筐体を同じにした61鍵、16音ポリフォニックだったが、オペレーター部を4に減らし、イニシャルタッチも省略されていた。上位機DX7が抜群にコストパフォーマンスが良かったため、価格差わずか6万円(価格18万8千円)の廉価版という存在は霞み、DX7ほどの人気は得られなかった。4オペレーターモデルながらエンベロープを6オペレーターモデル同様の方式で設定できたレアモデル。