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[[明治]]初期には相変わらず花札は禁止されていたが、1886年に販売が解禁され、同年に銀座の上方屋から花札とルールブックが発売された<ref>竹窓山人 (1885)『[{{NDLDC|861681}} 花がるた使用法]』 上方屋. (国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>。これ以降花札は大いに流行した。その一方で1902年に「[[トランプ類税|骨牌税]]」によってカルタ類が課税されるようになると、地方札を生産していた日本各地のかるた屋は倒産し、地方札は廃れていき、各地に伝わる遊び方も滅びていった。なお、[[任天堂]]は多くの地方札の原版を保有しており、発注も可能である(もちろん、相応の発注単位である必要がある)。同社サイトで、地方札原版がファイルに収められている様子が確認できる。
 
現在、花札を製造している企業は、「[[任天堂]]」「[[田村将軍堂]]」「[[大石天狗堂]]」「[[エンゼルプレイングカード]]」をはじめ、多数存在する。2009年夏まで、「[[松井天狗堂]]」が日本唯一の手摺り花札を製造していたが、職人の高齢化や後継者不在などの理由で現在では製造をめている。
 
「花札」の「花」は、花鳥がデザインされているためにこの名があるが、また本カルタ(南蛮系・天正系を源流にするもの)に対する代用品という意味もあるだろうという。花電車・花相撲などに使われている「花」の意味である<ref>{{harvnb|尾佐竹|1925|p=208}}</ref>。