「上信電鉄」の版間の差分

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=== 路線 ===
設置駅一覧等については以下の項目を参照のこと。
* {{Color|red|■}} [[上信電鉄上信線|上信線]]:[[高崎駅]] - [[下仁田駅]](33.7km・駅数20)21)
 
=== 運賃 ===
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== 車両 ==
[[1924年]]の[[鉄道の電化|電化]]当初は、その工事に使用した電気部品の多くを[[ドイツ]]の[[シーメンス]]社から輸入したことから、当時日本国内ではあまり他に例がない<ref group="注釈">大正 - 昭和初期にかけては輸入の電気機関車が多くみられるが、そのほとんどがアメリカ・イギリス製であり、ドイツやスイスといったその他の工業先進国からの輸入は極少数にとどまった。</ref>ドイツ製の[[電気機関車]]、また電装品にドイツ製の部品を多用した[[電車]]が在籍した。[[戦後]]しばらくは自社製や[[東武鉄道]]・[[日本国有鉄道]](国鉄)から購入譲受した木造車の鋼体化で糊口をしのいだが、[[1964年]]には[[東洋電機製造]]の電装品を使用した新造の[[カルダン駆動方式|カルダン駆動]]車である200形(デハ200形・クハ300形を導入した。以降に導入した新造車にはいずれも東洋電機製造製の電装品が一貫して用いられている。[[1980年]]以降は[[モータリゼーション]]の進行伴うよる収益悪化の影響もあり、再び中古車を導入する機会増えたが、こちらは一貫して[[西武鉄道]]からの購入に限られている。
 
70006000形以前の自社発注車は、かつて[[閉塞 (鉄道)|タブレット交換]]を行っていた名残で運転席が進行方向右側にあるのが特徴である<ref group="注釈">1973年まで上信線では保安システムにタブレット閉塞式を採用しており、かつ同線における交換可能駅はすべて島式ホームであることから在来車両はそれらの駅でホームに接する右側に運転席を配置してタブレット交換の利便性を図っていた。この特徴はタブレットの廃止以降に製造された自社発注車両にも引き継がれた。</ref>。他に特徴的な装備として、[[ワンマン運転|ワンマン]]化以前に導入した車両については新造・中古を問わず、客室内に[[車掌スイッチ]]を設けていたことがあげられる。また、[[動力車|電動車]](制御電動車)を表す記号は、単独でも走行が可能な車両の形式を「デハ」、走行に必要な機器を2両以上に分散して搭載するユニットを構成する車両の形式を「モハ」として2つを併用する<ref>鉄道ファン No244 p93</ref><ref group="注釈">他に電動客車に複数の記号を併用する私鉄は[[長野電鉄]](制御電動車はデハ、中間電動車はモハ)や[[富山地方鉄道]](鉄道線の電動車はモハ、軌道線の電動車はデ)、過去に区別していた会社では[[京福電気鉄道]](線区による区別として、嵐山:モボ、叡山・鞍馬:デナ・デオ、福井:ホデハ→モハ)などが存在する。</ref>
 
[[動力車|電動車]](制御電動車)を表す記号は、単独でも走行が可能な車両の形式を「デハ」、走行に必要な機器を2両以上に分散して搭載するユニットを構成する車両の形式を「モハ」として2つを併用する<ref>鉄道ファン No244 p93</ref><ref group="注釈">他に電動客車に複数の記号を併用する私鉄は[[長野電鉄]](制御電動車はデハ、中間電動車はモハ)や[[富山地方鉄道]](鉄道線の電動車はモハ、軌道線の電動車はデ)、過去に区別していた会社では[[京福電気鉄道]](線区による区別として、嵐山:モボ、叡山・鞍馬:デナ・デオ、福井:ホデハ→モハ)などが存在する。</ref>。
 
車体塗装は戦後木造車が大半を占めていたころは茶色の単色塗りであったが、その後[[1950年代]]には[[マルーン (色)|マルーン]]と[[クリーム色]]を用いたもの、[[1960年代]]後半には[[珊瑚色|コーラルレッド]]を基本にしたものへと変化した。さらに[[1976年]]に1000系が登場すると一転して趣味誌などで「ストライプ塗装」と称する[[アイボリー]]地にラインを用いた斬新なものへと変わっていった。[[平成]]に入ると経営状態の悪化から塗装費用削減を目的として一部の車両は再びコーラルレッドを用いた単色塗りになり、[[2000年代]]後半には在籍車両の多くが[[広告|全面広告]]でペイントされたカラフルな外観を有した時期もあったが、それらの掲載期限が切れた2016年現在は再び前述の「ストライプ塗装」のものが増えつつある。また2008年10月20日から2012年9月9日まで、[[松本零士]]原作『[[銀河鉄道999]]』のキャラクター「メーテル」・「鉄郎」をあしらったラッピング電車「銀河鉄道999号」が運行されていた。
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* [[上信電気鉄道ト1形貨車|ト1形]]
* [[上信電気鉄道テ1形貨車|テ1形]]
* [[上信電気鉄道テ1形貨車|チ1形]]
* [[上信電気鉄道テ20形貨車|テ20形]]
* [[上信電気鉄道ワ101形貨車|ワ101形]]
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''' 貨車・客車 '''
 
いずれも詳細は不明であるが、貨車1両あたりの積載量は3.4トン、客車1両あたりの平均座席定員は21.6人であった<ref>鉄道ファン No169 p47</ref>。[[改軌]]・電化直前の1920年(大正10年)には貨車が100両、客車が24両在籍した<ref>鉄道ファン No169 p47</ref>。
 
=== 車両数の変遷 ===