「テオドリック (東ゴート王)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
38行目:
東ゴート族の主導権を巡って、ローマ軍の長官[[テオドリック・ストラボ]]と争い、[[皇帝]][[ゼノン (東ローマ皇帝)|ゼノン]]との政治的駆け引きを繰り返したが、テオドリック・ストラボが急死したため、東ローマ帝国に圧力をかけ、[[483年]]には東ローマ帝国の軍事長官に任命された。
 
彼の東ゴート王国創設は、[[西ローマ帝国]]の[[パトリキ|パトリキウス]]に任命された親衛隊長[[オドアケル]]が、東ローマに内政干渉を行ったことに端を発する。皇帝ゼノンは、テオドリックに[[イタリア遠征]]と、皇帝代理としてこれを支配することを確約した(これは、東ローマ帝国内に居座る東ゴート人を厄介払いしてしまおうと言うゼノンの思惑があった)ので、[[488年]]、彼は[[モエシア]]を経ち、[[489年]]、リュブリャナ平原の[[イゾンツォ川]]でオドアケルの軍勢を破ると([[イゾンツォの戦い (489年)|イゾンツォの戦い]])、[[ヴェローナ]]、[[ミラノ]]を占領([[ヴェローナの戦い (489年)|ヴェローナの戦い]])、西ゴートの援軍を得て[[ラヴェンナ]]を包囲した([[ラヴェンナ包囲戦 (490年-493年)|ラヴェンナ包囲戦]])。[[493年]]、彼は、和平交渉によりラヴェンナ入城を果たし、降伏したオドアケルを和平の酒宴の席で暗殺した後[[イタリア王]]を名乗った。
 
テオドリックは、隣国との調停を計るため、[[フランク王国]]の王[[クロヴィス1世|クローヴィス]]の妹[[アウドフレダ]]を妻に迎え、娘を[[西ゴート王国]]の[[アラリック2世]]に、妹をヴァンダル王[[トラスムンド]]に嫁がせた。