「天明の大火」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
2行目:
'''天明の大火'''(てんめいの たいか)とは、[[天明]]8年[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]([[1788年]][[3月7日]])に[[京都]]で発生した[[火災]]。出火場所の名をとって'''団栗焼け'''(どんぐりやけ)、また干支から'''申年の大火'''(さるどしの たいか)とも呼ばれた。単に'''京都大火'''(きょうとたいか)あるいは'''都焼け'''(みやこやけ)というと、通常はこの天明の大火のことを指す。
 
京都で発生した史上最大規模の火災で、[[皇居京都御所|御所]]・[[二条城]]・[[京都所司代]]などの要所を軒並み焼失したほか、当時の京都市街の8割以上が灰燼に帰した。被害は京都を焼け野原にした[[応仁の乱]]の戦火による焼亡をさらに上回るものとなり、その後の京都の経済にも深刻な打撃を与えた。[[江戸時代]]の京都はこの前後にも[[宝永の大火]]と[[元治]]の[[どんどん焼け]]<!--([[禁門の変]]に伴うもの)--><!--詳述はリンク先に-->で市街の多くを焼失しており、これらを「京都の三大大火」と呼ぶこともある<ref>『[[国史大辞典_(昭和時代)|国史大辞典]]』第9巻(吉川弘文館、1988年)「天明の京都大火」(執筆者:森谷尅久)</ref>。
 
== 概要 ==