「バーナード・バルーク」の版間の差分

[[第二次世界大戦]]が始まり、軍事物資の供給が滞ったとき、ルーズヴェルトはバルークに助言を求めた。このときバルークは、内閣レベルで全ての物流を支配し、大統領がその全権を掌握するという強大な中央組織の創設を建言する。この方針に沿った機関の設立が進められ、1942年には彼
[[en:David Niles]]
が顧問を務める[[:en:War Production Board|ウォー・プロダクション・ボード]](WPB)が組織されるなど、その権限はまさに戦時におけるアメリカの産業戦略の最高責任者といえるものであり、彼はそこで大統領の実質的な代行として内閣レベルで指揮監督される全ての物流統制を統括していた。(ただいかに信頼を得ていたとはいえ、彼にゆだねられたその強大すぎる権限は彼の実質的立場が[[ルーズベルト大統領]]をしのいでいた証拠と見る向きもあり、口さがない者達からは「本当は彼のほうが国家元首ではないのか?」と皮肉めいた批評を向けられたほどだった。)
 
なお、原爆の開発を主導したマンハッタン計画にも関わっており、京都への原爆投下を主張していたと言われている。